ミラノ日本人カトリック教会
Milano Cappellania Cattolica Giapponese (Luciano Mazzocchi
神父)

2172008年-四旬節第2日曜日 

福音 マタイ 17, 1-9

そのとき、イエスは,ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽に輝き、服は光のように白くなった。見ると、モーセとエリヤが現れ、イエスと語り合っていた。ペトロが口をはさんでイエスに言った。「主よ、私たちがここにいるのは、素晴らしいことです。お望みでしたら、私がここに仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」ペトロがこう話しているうちに、光り輝く雲が彼らを覆った。すると、「これは私の愛する子、私の心に適う者。これに聞け」という声が雲の中から聞こえた。弟子たちはこれを聞いてひれ伏し、非常に恐れた。イエスは近づき、彼らに手を触れて言われた。「起きなさい。恐れることはない。」彼らが顔を上げて見ると、イエスのほかには誰もいなかった。一同が山を降りるとき、イエスは、「人の子が死者の中から復活するまで、今見たことを誰にも話してはならない」と弟子たちに命じられた。

福音を顧みて

四旬節第一日曜日には荒れ野で誘惑と戦う強い主を、第二日曜日には山で体を輝かしく変容させる主を黙想しながら、教会は主の復活祭に向うのです。教会の中にあって、私たちも一人一人ついて行きます。誘惑との戦いは福音の伝達を開始し、山での変容はその締めくくりを告げるのです。変容の山から下りた主は、十字架上の死を遂げるためにエルサレムに向かって行かれます。

変容とは、苦労になじんで鍛えられた主の体から、死の祭壇に捧げられる数週間前に、弟子たちの顔にも、周りの景色にも、主の内的な輝きが注がれたことです。死を迎えるとし終えた親を見送る子供は、必ず親のなえた顔に密かな輝きを見抜くのです。あのほのかでも、身に染みる深い輝きが、私たちに与えられる主の変容の体験でしょう。

主の脇には法律家モーセと預言者エリアが現れたというのは、法律も予言も主が遂げられる救いへの準備であった意味です。「律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエス・キリストを通して現れた」〔ヨハネ1,17〕。キリストを信じて、ついて行く人は、ただ法律を守るだけに留まらないで、キリストの恵みに生きるのです。その恵みとは、許しあいを以って悪を祓い、純粋な心に戻って愛の道を一緒に喜び合うことです。「私が来たのは律法や予言者を廃止するためだ、と思ってはならない。廃止するためではなく、完成するために来たのである」(マタイ5,17)。

主がとげられた「完成」とは、人間が尊重する法律や夢見る予言と理想の上に神の無限の愛を注がれたことです。「恵みの上に、更に大きな恵みを受けた」(ヨハネ1,16)。それがどれ程の宝であるかを知るために、結婚する二人の間柄を考えて見ましょう。互いに結婚の忠実さを守るけれども、それは法律上の義務としてだけの場合と、あるいは深い相互の愛によっての場合と、その相違が律法と愛の距離を指しています。人生を愛する心に私たちを導くために主が誘惑を受け、福音を延べ、体を変容させ、十字架を背負い、死に、復活されたのです。「これは私の愛する子、私の心に適う者。これに聞け」という声が雲の中から聞こえた。その声が私たちに向けられた招きです。神の愛する子に聞きながら、私たちも愛の道を歩みましょう。これこそ、四旬節の改心です。

孔子の教えに従って道徳を重んじる日本国民にも「恵みの上に、更に大きな恵みを受けた」という福音の訪れを祈りつつ・・・

福音の響き

廃品回収の悲しい問題から中々抜けられない Napoli市の郊外に、清潔を徹底しているMonte Procida町があります。町が直面する紺色の海からの影響か、何のせいか分からないけれども、路面に紙一枚も見当たらない整頓を心がける町!そこに「La casetta」(小さい家)という施設が建っていて、二ヶ月前にそちらに訪れる機会を得たら、主の変容を思わせる体験をしました。当日の日記に記した紀行文を日訳して皆さんに送ります。

  • La Casetta

懇ろの招待を受けて、1112日(月曜日)ナポリの郊外地Monte Procida 町の「La Casetta」という家庭施設を訪れました。20数年前に一人の婦人が家庭の温かさに恵まれない子供たちを自分の家庭に迎え始めたのが、「La Casetta」の誕生だったそうです。こうして、何十人もの子供が婦人の二人の子供と一緒に育ち、その内の7人は大学を通って,社会・教育の博士号をまで取ることができました。現在、この7人は「La Casetta」の運営を見ています。子供たちを見る役を互いに分配した彼らは、忙しい毎日を送っているのは言うまでもありませんが、同時にそれぞれの趣味も栄えているようです。楽器、園芸、大型のモーターバイクなどなどです。最近、必要な資金を集めるためにレストランも運営することを決めたそうです。けれども、月曜日は反省と企画と研修の日に決まっているので、レストランは定休日です。テレビ・ニースによれば社会問題が多いNapoliですが、やはり静かに愛の道を歩む若者もいて、Napoliの明るい魂はまだ生き続けていることの証拠ですね。「La Casetta」の家族と過した一日のもっとも記憶に残った思い出は昼過ぎに幼稚園から帰って来た一人の五歳児の澄み切った顔でした。にこにこして止まなかったこのかわい子供は両親のAIDSを感染している幼い犠牲者の一人です。食器も玩具も専用の制度になっていても、いつもにこにこ。。。親の罪を負い、キリストの運命と一体。。。と拝むほかはありません。私はキリストの心を実感させて頂いて、「La Casetta」を発ちました。ありがたく!

ルチアノ神父

今週の毎日の福音

17 マタイ 17, 1-9

18 ルカ  6, 36-38

19 マたイ 23, 1-12

20 マたイ 20, 17-28

21 ルカ  16,19-31

22 マたい 21, 33-46

23 ルカ  15,1-32

24日 ヨハネ 4,1-42

お知らせ

  • 210日にSant’Ambrogio聖堂で3人日本人も洗礼志願式

昨日はまゆみさんと無事、洗礼志願式に出て参りました。ミラノ教区全体の洗礼志願者の方は今年は129名ということで、なかなか盛大でした。教会の中央の(いつも閉めてある)扉が昨日は開け放 たれ、志願者が司教様の後に続いて中庭から教会に入ったのですが、晴 天に恵まれたおかげで、教会中に光が満ちあふれ、とてもいい感じでし た。 〔荒川いずみ〕

  • 217日〔日〕午後3時にマリア・バンビーナ修道院(Via Santa Sofia 13/17)で日本語ミサ聖祭と信仰生活についての懇談会(カトリック日本人会)

午前11時半の日本語ミサ聖祭は例通りドゥオモの裏のSanta Maria Annunciata教会い捧げられます。

ほのぼの雑記

最近温暖化が進んでいます。季節を間違えてしまったのか、トカゲがもう道端をうろうろしているのを見かけ驚きました。まだ早すぎるよ。

春にはあらゆる命が芽吹いて伸びていくように、『肝気』もこの季節、その流れが旺盛になります。この流れが旺盛になればなるほど、どこかそれについてゆけずに滞る場所も出てくるのですね。五月病や不眠症、不安定な気持ちになる人や何かのどに引っ掛かっているような気がして、空咳が止まらない人又アレルギーなどが春には増えてくる。花粉症もそうですね。これらの症状はこの肝気のうっ帯によると考えられています。

まずは、旬のものを食べましょう!!この時期だと、アスパラガス、ネギ、ほうれん草、里芋、グレープフルーツもいいらしい。両膝の内側辺りにある曲泉(きょくせん)というつぼが肝臓に良いつぼで肝臓内の血流を浄化させてくれます。是非軽く押してみてください。

荻原智子

Nessun tag per questo post.