ミラノ日本人カトリック教会

Milano Cappellania Cattolica Giapponese

(Luciano Mazzocchi 神父)

200928日-公現節第五日曜日

福音マタイ1521-28

カナンの女の信仰 イエスはそこをたち、ティルスとシドンの地方に行かれた。すると、この地に生まれたカナンの女が出て来て、「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています。」と叫んだ。しかし、イエスは何もお答えにならなかった。そこで、弟子たちが近寄って来て願った。「この女を追い払ってください。叫びながらついてきますので。」イエスは「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」とお答えになった。しかし、女は来て、イエスの前にひれ伏し、「主よどうかお助けください」と言った。イエスが、子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」とお答えになると、女は言った。「主よごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」そこで、イエスはお答えになった。「婦人よあなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」そのとき、娘の病気はいやされた。

福音を顧みて

今日の福音は、何と直ぐに納得が行かない話しですね。カナンの女がイエスに福音を教え、イエスは異邦女から福音を教わる話しとは!

「イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人に愛された」(ルカ252)と書いてありますが、やはり私達と同様、イエスも日増しに成長された人間の一人です。「御子であるにもかかわらず、多くの苦しみによって従順を学ばれました」(へブライ人への手紙58)とも書いてある通り、カナンの女との出会いは正にイエスにとって従順を学び、「知恵が増し・・・神と人に愛された」キリストに成長する貴重な機会でした。異邦人の女もイエスをキリストに育てる為には、自分なりの貢献を捧げた事実です。生命を孕むすべての女が聖母マリアと一体となって、この世の子らを救うキリストを祈りを持って育み、そして絶え間ない愛の活動をもって生み育てて下さいます。子供の救いの為に祈り続ける母親が、我が子の生活にキリストを生むと言えるではありませんか。祈りは恵みの母体です。祈りはキリストを生む母体です。

カナンの女が我が子の回復をイエスに願ったところ、イエスは「私は、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」と冷たくお答えになりました。しかし、母性的な性質を持ったこの女は、子供の救いを切望しながら「主よ、どうかお助けください」と祈り続けました。涙に濡れた強い祈りがイエスの中にキリスト性を呼び起こしたかの様に、イエスは態度を直して、「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように」とお答えになりました。イエスは準たるユダヤ人のひとりとして、異邦人に対する優越感を持っていたので、カナンの子供達を「小犬」と呼ばれました。カナンの母親の苦しみに依って従順を学んだイエスは、この世で最も小さい者こそ神の国にはもっとも偉い(マタイ1111)と宣言するキリストになられました。私達にキリストが与えられた事は、カナンの女のお陰でもありますね。キリスト教徒でない他の宗教の方も、あるいは無宗教の方も、キリストからただ受けなければならない状態にあるのではなく、却ってキリストに何かを捧げる事が出来る立場にもあります。宗教間の対話は、先ず神を求める体験の交換です。異邦人の子供を「小犬」と呼んではいけない事を教えてくれたカナンの女に、イエスがその子供を治して上げました。

私達がキリストに祈りを向ける時、キリストに忠告を宛てる事ではありませんか。それに答えてキリストは恵みを施して下さいます。「人を聖なる者となさる方も、聖なる者とされた人たちも、全て一つの源から出ているのです」(へブライ人への手紙211)。全ての源である神の心には、キリストと私達が切り離せない一致で、キリストは私達の食べ物になり、聖母と私達が一体と成って、キリストに食べ物となる血肉を備えて上げます。キリストの神秘胎!キリストの神秘体!(二コリ1212-21

分かち合い

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先週の日曜日の御ミサの後、お友達に誘われて京都の西陣教会に「日本二十六聖人」の聖劇を見に行きました。キャストは信者、未信者、神父様、小学生、全部で16名、スタッフは11名とコーラスでした。皆忙しいスケジュールの中で、1月から毎週2晩、7時から9時迄一生懸命練習して、感動させられました。神父様はこれも神様の御力ですと仰いました。その後京都の司教様がお挙げになった「日本二十六聖人殉教者」記念ミサにも準備期間として与る事が出来ました。お説教では「神様の呼びかけを聞ける様にして、キリスト者として、何が出来るか、努力をしているか反省をする様に仰いました。帰りは雨になりましたが、92歳の方も宝塚教会から一緒に来て下さって、殉教者達の事を新たに思い起し、偲び、皆で心を1つにしてお祈りをする事が出来ました。澄玲

今週の福音

08 () マタイ 1521-28

09 (月)マルコ 714-30

10 () マルコ 731-37

11 () マルコ 81-9

12 () マルコ 810-21

13 () マルコ 822-26

14 () マルコ1615-20

15 () ルカ736-50

聖ベルナデッタを訪ねて

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2008年2月11日、ルルドに聖母御出現150周年を機会として、カトリック教会は2007年128日の無原罪の聖マリアの日からから2008128日迄の1年間を記念として祝いました。そして教皇ベネディクト16世は、ルルドの聖母御出現150周年を機会とした免償規定を発布されました。

私は大阪で巡礼を企画している人とお知り合いになれる機会を得、日本全国からのルルドへの巡礼グループ、5人の神父様、10人のシスター、1人の牧師さん、未信者、信者、総勢99人の次に、私が100人目として去年、聖母月の5月に、ミラノから5泊6日のルルドへの巡礼に一緒に参加をさせて頂きました。このグループの中で何回もルルドに来ていらっしゃるシスターがガイドをして下さって全免償を受ける事が出来ました。私はこの中では大阪のグループの一員として一緒に巡礼しました。

ミラノからパリへ飛んで、モンパルナス駅からフランスの新幹線に乗って5時間かかって晩の9時にルルドへ着きました。宿舎の修道院はサクルクール教会の側で、窓からは教会の向こうに見えるピレネー山脈の中の灰色の雲の中の景色が幻想的な感じがしました。道中、パリは暑かったのですが、ルルドは流石に涼しく、ここでベルナデッタがマリア様の御出現のお恵みを頂いたと思うと、胸が詰まりました。宿舎の修道院にはもう前日から係りの人とかズーット私達に付き添って下さるガイドの人が待ってくれていました。大阪組は夜中の12時に着きました。

翌朝、朝食の後、先ずベルナデッタが受洗したサクルクール教会へ行って、洗礼盤とベルナデッタがマリア様の御出現のお恵みを頂いたいきさつを形取った板版を見ました。そして同行の神父様5人の共同司式での御ミサに与りました。その後、ベルナデッタが信仰深い優しい両親の元で10年間幸せな生活をした製粉業で水車のある生家へ行きました。その後、聖母マリア様が数々の奇跡の癒しを持って、御憐れみに満ち、優しく見守って下さる、マッサビエルの洞窟に行きました。お祈りをして、お水を汲んで、手、腕、顔に浸しました。一旦、修道院に帰り昼食を取って午後は自由行動で散策をして、聖体賛美教会へ行ってお祈りをしました。夕食後、9時から10時迄ローソク行列に参加しました。「あめのきさき」が各国語で歌われました。

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翌朝は朝、7時半からグロットーの前での日本語の御ミサに与りました。朝からあいにくの雨で寒かったのですが、マリア様を通して皆が心を1つにしてお祈りをする事が出来ました。その後、善良だった両親のスピルー家の家計が困難に陥り、元刑務所の1室で家族が住んでいたカショーを見に行きました。余りにも非衛生だったこの1部屋で、喘息持ちだったベルナデッタは、郊外の静かな町に住んでいた乳母で、実の叔母さんの家の農家へ預けられました。私達もバスで

15分、このバルトレスの町を訪ねました。お庭に叔母さんのお墓がある小さな教会で皆でお祈りをして、その後ベルナデッタが羊を放牧して叔母さんと暮らしていた所へ歩いて行って清々しい空気に触れました。小さい時から毎晩家族でお祈りをしていたベルナデッタは、バルトレスの生活の中でも毎日ロザリオの祈りを唱える事を忘れませんでした。そしてこの後ルルドに帰ってマリア様の御出現のお恵みを頂きました。1858211日ベルナデッタが14歳の時、洞窟へ蒔拾いに行った時に、初めての御出現を頂きました。3回目の御出現の時に「私は、この世ではなく、後の世で貴女を幸せにする事を約束します」と仰いました。ベルナデッタは何回もその方に名前を聞きましたが、いつも微笑みが返ってくるだけでした。18回に亘ってベルナデッタの前に御出現になったマリア様は325日、16回目の御出現の時に「私は無原罪の宿りです」と啓示を明らかにされました。ベルナデッタは、自分が貧しく無知だから聖母に選ばれたという事を自覚していました。

その後ベルナデッタが初聖体を受けて働いていたホスピスへ行って最後のシールを貰いました。午後は又自由行動で私はグロットーへ行ってお水を浸し聖体賛美教会へ行ってお祈りしました。晩は昨日同様ローソク行列ですが、昨日の様に歩かないでお仲間と一緒に階段の上から行列の様子を見ていました。上から見ていると車椅子をボランティアの人達が所定の場所に運んで行くのが良く見えました。ここのボランティアが出来るのは申し込みをしてから3年かかるそうです。

翌朝は自由行動で、午後汽車に乗ってパリへ行きました。モンパルナス駅からバスに乗って市内観光をしてダイアナルートも通ってレストランへ行って夕食を済ませました。

翌朝はリヨン駅から汽車でベルナデッタが入っていたヌヴェールの修道院へ行きました。マリア様の御出現以来ベルナデッタにはあちらこちらの修道院からの勧誘がありましたが、ヌヴェール愛徳修道院のシスター達は優しく控えめであった事、そして病気の人や貧しい人の世話をするのが主な活動であった事が、ベルナデッタをヌヴェール愛徳修道会へ入会したいという希望を後押ししました。そしてベルナデッタは修道院に入るに当たり、自分は人参とじゃが芋をむく事だけが出来ますといいました。

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聖母が初めてルルドの少女ベルナデッタの元に御出現されてから20年の年月が過ぎ去り、ベルナデッタは「祈ること」と「苦しむこと」だけが唯一の仕事となりました。1879年4月16日、水曜日、1515分頃、ベルナデッタ 、 修道名、スール・マリー・ベルナールは、35歳で、ヌヴェール市にあるサン・ジルダール修道院の聖十字架病室で静かに息を引きとりました。

そして御聖堂の中のベルナデッタに対面しに行きました。私はベルナデッタの純粋で霊的な高さに近づく事が出来た事を感謝してお祈りをしました。それから修道院の滋養に富んだ美味しい昼食を頂きました。その後ベルナデッタが息を引き取った部屋を見に行きました。今は御聖堂となってベルナデッタがその苦しみを神様に捧げたベッドがあったところが祭壇になっています。それから、他の小聖堂で私達の間での御ミサに与って、その後お庭に出て散策して写真を撮りました。私は、巡礼は日本から来たグループの人達と一緒だったのですが、交通は全て単独行動でしたので、ヌヴェール駅からリヨン駅へそこから地下鉄に2回乗り換えてノートルダム寺院へ行く時は、長い暗い通路を歩いて、ニューヨークにでも居るのかしらと思いましたが無事に着く事が出来ました。

最終日は皆と一緒にバスに乗ってドゴール空港へ着いて私はミラノ迄帰ってきました。持って帰ったお水をお年寄りの方に差し上げる事が出来ました。

この充実した巡礼を体験する事が出来、祈りの地、ルルドでマリア様のお取次ぎによって、私もお祈りに包まれた事を神様に感謝するのみです。ベルナデッタの「魂の日記」より1節を載せさせて頂きます。古谷野玲子

―なぜ、イエスは私の中でこんなにも、小さいのでしょう?それは、私が十分に小さく謙遜でないからです。ですから、どうか、私が謙遜になる事が出来ます様に。そして、へりくだることが出来ます様に。そうすれば、イエスは大きくなって下さる事でしょう。―

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