福音 マタイ 3,13-17

そのとき、イエスが、ガリラヤからヨルダン川のヨハネのところへ来られた。彼から洗礼を受けるためである。ところが、ヨハネは、それを思いとどまらせようとして言った。「私こそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに、あなたが、私の所へ来られたのですか。」しかし、イエスはお答えになった。「今は、止めないでほしい。正しいことをすべて行うのは、我々にふさわしいことです。」そこで、ヨハネはイエスの言われるとおりにした。イエスは洗礼を受けると、すぐ水の中から上がられた。そのとき、天がイエスに向かって開いた。イエスは、神の霊が鳩のように御自分の上に降って来るのをご覧になった。そのとき、「これは私の愛する子、私の心に適う者」と言う声が、天から聞こえた。

福音を顧みて

主の公現祭をもって降誕節が尽きると、四旬節が始まるまでの間は、年間の日曜日が続きます。今年は四旬節が早くも26日から始まるので、間の年間日曜日はわずか四回です。その第一(113日)は必ず「主の洗礼」の祝日に定まっています。主の洗礼を祝いながら「年間」の歩みに就くのは、何とふさわしい選択でありましょう。確かに、洗礼が生まれ変わりの秘跡です。ところが、「主の洗礼」と言うと、それはイエスが人に洗礼をお授けになるということではなく、却って、主が人から洗礼をお受けになるという出来事を指しています。結局、イエスがキリストとしての独特な使命を始める前に、先ず全宇宙の流れの中に自分自身を沈め、全宇宙から福音を述べる使命を授かりたかったのです。全宇宙がイエスの体と一体化されたのです。

ヨハネは「私こそ、あなたから洗礼を受けるべきなのに。。。」と断ろうとしたが、「正しいことをすべて行う」ためにイエスはヨハネに洗礼をお頼みになりました。「正しいことをすべて行う」という表現の神秘を穿さくしてみましょう。西洋の教会においては、罪によってすべての存在が本来の美しさを徹底的に失ってしまい、イエス・キリストの十字架によってのみ、それが回復されると言う神学的な解釈が優勢です。その神学観によれば、人間の罪の開放はキリストと出会うときから始まり、キリストと出会わずには救いが得られないと考えがちです。こういった信仰の持ち方は特にプロテスタント界に根強いけれども、カトリックにも現れたりします。この信じ方から生ずる一つの傾向は、大自然に対する消極的な関心です。何故かと言うと、救いを得る道はキリストの体の犠牲を通してからだけです。しかし、ヨルダン川の流れに体を沈めたとき、イエスは万物を自分の体をもって、自分自身を万物と一体化されたのです。したがって、大自然を大事にすることはキリストの体を敬う信仰です。幸い、東洋の人々が手放すことが出来ないほどの、大自然に対する宗教的な尊敬を保っています。

死刑施行の許可を下すピラトの前に引かれたイエスは、こう言われた。「真理に属する人は皆、私の声を聞く」〔ヨハネ 18,37〕。やはり、キリストの教えを聞くためには、先ず大自然の知恵に属さねばなりません。いわば、キリストの洗礼を受ける前に、人間的な誠実さが洗礼を受けるのです。清い目を持っていたお陰で、東方の博士たちが星を観察しながらキリストの誕生を知ることが出来ました。

この省察を近づく復活節に洗礼を望んでその準備に励んでいる求道者の方々に激励のひと言葉として送ります。

福音の響き

「神様はこの純粋な気持を持った人達をより一層愛されるのだと思います。」純粋な気持ちを持つ人々こそ、天の星を見ながらキリストを待つ心を知るのです。もし、教会の洗礼を受けるまで行けない多くの人々は、大自然の流れに身を沈めることによって、神の愛を悟りえます。以下の話は日本から。ありがとう!(ルチアノ神父)

純粋って

11月に宝塚市にあるボランティアセンターのアマチュアコンサートを聞きに行きました。その中に2組の身体障害者のグループがありました。始めは大人のグループで、1人の男の人がイタリア歌曲を原語で暗譜して歌っていました。又先生達がキーボードで伴奏をして身体障害者の人達は打楽器を1つもリズムを外さずに良いアンサンブルを聞かしてくれました。10点満点で私は10点をつけました。先生達と障害を持つ人達の心が1つになって出来上がった物だと思います。2組目は障害を持った子供を持ったお母さん達のグループでその中の1曲アニメでヒットした「となりのトトロ」の主題歌をお母さん達が歌って子供達がリズムに合わせて動いた時はまるでお伽話の世界に引きずり込まれた感じで、1瞬天使が降りてきて潤してくれた感じがしました。感涙していた人もいました。私は10点プラスアルファーをつけました。障害を持った人達は本当に純粋な気持を持っているのだと思います。神様はこの純粋な気持を持った人達をより1層愛されるのだと思います。

古谷野 玲子

今週の毎日の福音

13 マタイ 3, 13-17

14 マルコ 1, 14-20

15 マルコ 1, 21-28

16 マルコ 1, 29-39

17 マルコ 1, 40-45

18 マルコ 2, 1-12

19 マルコ 2, 13-17

20 ヨハネ 1, 29-34

お知らせ

ミラノカトリック日本人会から次のお招き:

¨ 1月2015.00Via Santa Sofia のマリアバンビナ修道院

¨ ミサ聖祭、トンボラ大会、ミニバザー

ほのぼの雑記

遅ればせながら、皆様、新年明けましておめでとうございます。2008年が皆さんとご家族の皆さんのために健康で、平和と希望に満ちた年でありますように心よりお祈りいたします。

さて、皆さんは年頭にどんな願いをされたでしょうか?『家内安全。商売繁盛。お金がいっぱいたまりますように!』というような個人的、私欲的な欲望の良し悪しは別として、世界に向けた祈り・願いも大切ですよね。

どんな小さな『願い』でも心ひそかに持ち続けていると、顔が良くなり、眼の色が深く澄んでくるようです。一人ひとりご自分に合った『願い』を持ちましょう。そしてどこかのスローガンでもありますが『暗いと不平を言うよりもすすんであかりをつけましょう』。

今年もよろしくお願いします。

荻原智子

ほのぼの雑記のために、一滴の喜びを注ぐ話を待っています。どうぞ。。。

ルチアノ神父

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