ミラノ日本人カトリック教会
Milano Cappellania Cattolica Giapponese (Luciano Mazzocchi
神父)

2008511日 ・ 聖霊降臨祭

福音 ヨハネ 20, 19-23

その日、すなわち週の初めの日の夕方のことであった。弟子たちがいた所では、ユダヤ人を恐れて戸がしめてあったが、イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。「平安があなたがたにあるように。」

こう言ってイエスは、その手と脇腹を彼らに示された。弟子たちは、主を見て喜んだ。

イエスはもう一度、彼らに言われた。「平安があなたがたにあるように。父が私を遣わしたように、私もあなたがたを遣わします。」

そして、こう言われると、彼らに息を吹きかけて言われた。「聖霊を受けなさい。

あなたがたが誰かの罪を赦すなら、その人の罪は赦され、あなたがたが誰かの罪をそのまま残すなら、それはそのまま残ります。」

福音を顧みて

聖霊降臨祭のミサに読まれる福音は、十字架の失敗で脅えて、ぎっしりと戸を閉めて避難所に隠れた弟子たちと再会なさる復活の主が、彼らに送られた「平安の挨拶」です。限界ある私たちの心に無限である神の霊が注がれる様子を見事に語る福音です。神の霊を注がれた弟子たちは、明るい希望に甦ったかのように、社会の中に戻ってキリストの道を確証し出しました。

旱魃に見舞われたら、穀物の不作をはばかる農家が、畑の灌漑に骨を折るのです。一所懸命に水をやっても、穀物がしぼむ一方です。なぜか、周囲は渇いていて、せっかく畑に撒いた水は、瞬く間に蒸発してしまいます。ところが、天の恵みである雨が降り出せば、枯れかかった草木は一変に繁茂します。農家は家の中に休みながら、ただ有難うを申すだけです。

と言っても、聖霊と人間の働きの間に深いつながりがあり、どちらも大切です。降る雨に有難うを申す農家は、雨の恵みを待ちながら、農作物が旱魃に負けないように、一所懸命に灌漑の作業に骨を折った人です。人間の努力と神の霊の恵みが切り離せない、唯一の救いです。現在、特にキリスト教の伝統が古いこのイタリアの教会では、天からただで注がれる神の霊に甘える傾向が著しくて、多くの受洗者の信仰生活には元気がないようです。薄っぺらに耕された畑に肥沃さが少ないように、その信者たちの信仰もしぼみ、可哀想にも真心から信じる喜びを知るほど成長できません。果樹の実が大きくなっても、日当たりが悪いために中身が塾し得ないと一緒です。聖霊の実りは熟した信仰の味です。

聖霊の降臨を迎えるために、二つの決心をしましょう!先ず、無賞に授かる生命においては今日の尽力を尽くすこと。第二、尽力を注いだ生活においては永遠の無償を称えること!

「しかし、御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。このようなものを禁ずる律法はありません。」 (ガラ 5,22-23

今週の毎日の福音

11 ヨハネ 20, 19-23

12 マルコ 8, 11-13

13 マルコ 8, 14-21

14 マルコ 8, 22-26

15 マルコ 8, 27-33

16 マルコ 8, 34-9,1

17 マルコ 9, 1-13

18 ヨハネ 3, 16-18

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およそ30年ほど前、日本に滞在していた頃、御受難会の畠基幸神父が指導する黙想会に与ったことがあり、畠神父の落ち着いた口調の説教は今に印象に残っています。神父は、ルテル教会で洗礼を受けたが、後にカトリック司祭になった理由は、コリント書でパウロが描く、唯一の霊によって築かれるキリストの共同体の秩序を求めてだったそうです。神父の先生であった、有名な神学家 Karl Barthも、年を終えたときに、カトリック教会の秩序に憧れたと神父が仰ったことを今にも覚えています。やはり、一人一人の見解や解釈が多様であっても、まず皆がキリストの愛において一致するということは、正に聖霊の働きです。統一ではなく、愛によって多様性の交流で、春の季節に多色の花が広い草原に一つの錦を編んでいるように。畠神父の霊性を明かす下記の文章は古谷野玲子さんから送られました。有難う!

 

畠神父様は「聖霊による刷新」の全国委員長をしていらっしゃいます。この黙想会は去年の関西大会では、2泊3日で、毎日御ミサ、講話、賛美がありました。他にも4人神父様がいらして、講話をなさったフランシス・マッケイ神父様(オーストラリア人、聖コロンバン会)は、エクソシストでもいらっしゃいます。畠神父様がおやりになっていらっしゃる百日共同祈願ミサは、去年2回お捧げになりました。これは新しい「聖霊降臨」の恵みを願う教皇様の御意向に合わせて、私達が、夫々個人の意向を書いたカード(ハガキ)を、共同祈願として祭壇に奉納し、毎朝御ミサをお捧げになられます。1回目目は480名、2回目は780名の参加者でした。100日間の共同祈願は、隣人の為に祈りを捧げるキリストの掟にかなう日本的な荒行(密教信仰では千日間の祈りを5年位かけて満願成就する信心)です。皆様から、多くの霊的な利益を得たとの証言を頂きました。神父様は、日本中の教会で百日の祈願の運動が始まることを夢見ていらっしゃいます。第三回目は、今年の元旦から始めて100日間、聖金曜日を除いて数えれば、4月10日が100日目にあたります。銀祝のお祝いは、先ず3月19日、大阪大聖堂で司祭職の誕生を祝う聖香油ミサで、池長大阪大司教、松浦補佐司教他金祝・銀祝の6人の神父様方と共に共同司式なさって、その後、国際会議出席の為にローマにいらっしゃいました。全てが神様の御計らいでした。ローマの御受難修道会本部、創立者十字架の聖パウロの御聖堂にて、叙階25周年の感謝ミサで、皆の書いた共同祈願を奉納なさいました。私達の書いた年賀ハガキ700枚全部をリュックに入れて飛行機で持っていらっしゃいました。皆様が心を1つにして、司祭召命の為にお祈り下さいます様、お望みでいらっしゃいます。この25年間、御子の「神よ、御心を行う為に」(ヘブライ書10:9)と聖母マリア様の「お言葉通り、この身になります様に」(ルカ1:38)との聖霊の促しと御言葉に支えられて、毎日、教会の意向の為に「あなたの教会の捧げ物を顧み、御旨に適う真のいけにえとして認め、受け入れて下さい。

(第三奉献文)」と御ミサを捧げてこられました。黙想会のお仲間15人は、1週間の巡礼を兼ねて、この日の為に日本から参加して喜びを分かち合いました。そしてお兄様と86歳におなりになるお父様もご一緒にいらっしゃいました。何て素晴らしい事でしょう!私はミラノから前の晩に着いて、この日を一緒に迎えました。当日は朝、御ミサがあった後、大聖堂の地下にある、聖パオロ、聖ジョヴァンニ兄弟が住んでいた場所を見学しました。お昼は、修道院の食堂で修院長様が盛大なお祝いをして下さって、「マラナタ」と「主は水辺に立った」を日本語と伊語で、お若い神父様達も大きな声で皆一緒に歌って、大食堂の中は熱い雰囲気に包まれました。Viva l’Italia e il Giappone!日本とイタリアに万歳!晩は、私達は外のレストランへ行って、お祝いをして和気藹々と団欒の楽しい一時を過ごしました。

又、時を同じくして、夙川教会の主任司祭、梅原神父様と同教会助祭、聖ザベリオ宣教会のジョヴァンニ神父様が、32名の巡礼者に同行なさって、関空で一緒に出発前のお祈りさせて頂きました。機中、パリ迄楽しくお喋りをして、私はミラノへ、夙川教会の巡礼者達はローマへ、御受難会の黙想会での再会を約束して、夫々旅立ちました。ジョヴァンニ神父様は4月から宝塚教会の第4、第5日曜の御ミサをお挙げにいらして下さいます。尚、ルチアーノ神父様は、2004年夏に、25名のイタリア人巡礼者を日本に連れていらした時、御受難会にお泊りになって、準管区長をしていらした畠神父様とお知り合いになられました。  古谷野玲子

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