ミラノ日本人カトリック教会
Milano Cappellania Cattolica Giapponese (Luciano Mazzocchi
神父)

2008112日 ・ 年間第三十一主日

福音 マタイ 231-12

〔そのとき、イエスは群集と弟子達にお話になった。「律法学者たちやファリサイ派の人々は、モーセの座に着いている。だから、彼らが言うことは、すべて行い、また守りなさい。しかし、彼らの行いは、見倣ってはならない。言うだけで、実行しないからである。彼らは背負い切れない重荷をまとめ、人の肩に載せるが、自分ではそれを動かすために、指一本貨そうともしない。そのすることは、すべて人に見せるためである。聖句の入った小箱を大きくしたり、衣服の房を長くしたりする。宴会では上座、会堂では上席に座ることを好み、又、広場で挨拶されたり、「先生」と呼ばれたりすることを好む。だが、あなた方は、「先生」と呼ばれてはならない。あなた方の師は一人だけで、あとは皆兄弟なのだ。また、地上の者を「父」と呼んではならない。あなた方の父は、天の父お一人だけだ。「教師」と呼ばれてもいけない。あなた方の教師はキリスト一人だけである。あなた方の内で一番偉い人は、仕える者になりなさい。誰でも、高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる。

福音を顧みて

この日曜日の福音を拝聴するたびに、非常に感銘せざるを得ません。見栄の文化の現在にあって、先ず打たれるのは主イエスの言行が如何に隠し気のない、澄み切ったものであったかという点です。誰の前に立っていても、顔色が一つも変わらない、魂の透明な主だったから、「言うだけで、実行しない」立法学者達とファリサイ派の人々の姿勢を厳しくお咎めになりました。昔、遠いパレスチナに住んでいた立法学者とファリサイ派の人は悪い指導者であった為に、彼らに対するイエスの厳しい批難は当然だったと認める反面、現代の私達はこの福音を他事として片づけてしまうかも知れません。言わば、歴史の資料!しかし、福音の立法学者とファリサイ派の人とは、他ならぬ私達一人ひとりの事です。そうです!私達も、喋る口が上手で、行う手が下手です。「手が届く」平常の努めよりも、空の様に広くて遠い「手が届かない」空想を慕うのです。顔の表情は魂の反射だと言われますが、母から頂いた顔よりも、虚栄心にかられて人工的に美化した顔にあこがれ、本物より錯覚を好み、錯覚こそ生活の基準になって、例えば一定の映画で農家を演じる役は、実際の農家を務める事よりも好ましく思われます。現実に基づいた誠実さより、空想に浮く見栄は魅力的です。現実と錯覚の分裂を煩う魂は、自分に対しても他人に向かっても密かな暴力を孕みます。考える心と行う手との間に勘違いが生じ、心と手は調子はずれで、噛み合わないのです。手は心が発想する事柄を働けば、また心は手が汗ばむ苦労を知れば、心は手に励ましを注ぎ、手は心に謙遜さと度合いを教え、手と心の係わり合いによって、現実と理想が一致して、実生活が輝いて来ます。

「誰でも高ぶるものは低くされ、へりくだる者は高められる」。そうです。福音に指される高ぶりとは、やはり自分の限界を認めず、自分を膨張化する事です。これにおいても大自然が素晴らしいヒントを呉れます。自然界には各分子が自分の特有性を精一杯に生かす故に、各自が特有の味や色合いや香りを飾っています。すべての草の茎は自分の小さい体を精一杯に作るお陰で、広い草原は天国の庭らしく、その緑を眺めただけで人の目は安らぎます。へりくだって私達も、自分という「限界」を受け入れ、生かし、実らせて行きましょう。そうすれば、小さい「自分」は全宇宙に喜ばれる、掛け替えのない存在になります。言わば、天の父の子、キリストの弟子に成る訳です。いや、「成る」よりも、「成らせて頂く」と言った方が正しいです。

分かち合い

元々は11月1日の諸聖人のお祝いAll Hallows (All Saints’Day)の前夜祭でもあります。そして秋の収穫を祝って悪霊を追い出すとされています。日本でもこの頃はこの時期になるとカボチャ提灯とか南瓜の形をしたパンとか色んなハローウイングッズが店頭に出ていますね。外のドンチャン騒ぎから子供を守る為に自宅にお友達を呼んでこのお祝いが出来たら良いですね。大きな南瓜を買ってきて上から数センチを水平に切り取り中味をほじくり出して下絵を描いて三角形の目、鼻、歯のある大きな口を切り抜いて内側にキャンドルを置くとカボチャ提灯が出来上がります。自宅でお友達を呼んでこのお祝いが出来る様なスペースもあると良いのですが、要するにバーベキュー等が出来る様な場所です。ハローウインメニューを作っても良いですし。ローソクを一杯地面に置いて、魔女などの様な独創的な物を飾って全部手作りです。そして食べるだけではなく、自分の好きな聖人のお話を互いに話し合うとか、親は大変ですが、子供達には楽しい思い出になるし、単なるお祭りに終わらないで本当の意味を分からせてあげたいですね。

この季節はあちらこちらの教会でバザーが催されている事と思います。教会内での私の地区はカレーのお当番で買出し、道具の設置、当日の用意等、毎日教会に行って良い経験をして、又当日は完売出来ました。ご高齢の方達も毎日自宅でのケーキ作り、飴を入れる為の可愛い箱作り等、夫々が自分の持ち前を生かして教会の為に皆が協力しました。私達信徒は楽しく皆でやってゆけます。そして近隣の信者でない方達も喜んで来て下さいます。これを読んでいる方達もバザー又は他の教会内での苦労話、微笑等何か分かち合えるコメントをお寄せ下さいましたら幸いです。澄玲

今週の福音

2 () ヨハネ 637 -40

3 () ル カ 1412 -14

4 () ル カ 1415 -24

5 () ル カ 1425 -33

6 () ル カ 151 -10

7() ル カ 161 – 8

8 () ル カ 169 -15

9 () ヨハネ 213 -22

アンブロージョ典礼の一年間の歩み (第二)

アンブロージョ典礼による一年間は三つの大期間に分かれます:

第一は「託身」の神秘の期間です。期間は11月の半ばの日曜日から四旬節が始まる迄です。大概三ヶ月間に及びます (アンブロージョ典礼には待降節は6週間、クリスマスの期間は9~10週間です)。

第二は「復活」の神秘の期間です。四旬節の第一日曜日から、聖霊降臨祭までで、大概14週間です(四旬節は6週間で、復活の期間は8週間です。

第三は「聖霊降臨」の神秘の期間です。聖霊降臨祭の日曜日から待降節に入る日曜日までで、大概2425週間です。

日本も含めて世界の殆どの教会で使われる「ローマ典礼」と比べたら、アンブロージョ典礼は託身(クリスマス)に特別な注意を払い、ローマ典礼の8週間に対しては16週間を当てています。珍しい違いは四旬節の始まりです。ローマ典礼では灰の水曜日からですが、アンブロージョ典礼には四日遅れて、次の日曜日(四旬節第一)からです。従って、灰の水曜日はありません(これはちょっと残念です!

アンブロージョ典礼の聖霊降臨節はローマ典礼より大概8~9週間も短いです(クリスマス期に挿入)。

期間の編成には上記の相違点がある程度であれば、アンブロージョとローマ典礼がもっとも違って来るところは各日曜日に読まれる聖書朗読です。ローマ典礼ではマルコ、マタイ、ルカの三つの福音が、三年をかけて一年に一福音を継続的に読む事になっているに対して、アンブロージョ典礼では、各日曜日にキリスト教の教義を一つ紹介することになっていて、その教義を証す福音と旧約聖書の適当な箇所を全体から選択しています。こうして、来る1116日(今年アンブロージョ典礼による待降節の第一の日曜日)から、ローマ典礼とアンブロージョ典礼に読まれる福音と旧約聖書の箇所は違って来ます。ミラノ日本人カトリック教会もそれに従って行きますので、ミラノに住まわれない方は、16日以降の週報に、地元の教会で読まれた福音と違った福音の解説を受けることになります。お役に立てますように望んでいますが、御了承ください。

ルチアーノ神父

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