ミラノ日本人カトリック教会

Milano Cappellania Cattolica Giapponese

(Luciano Mazzocchi 神父)

2009214日-公現節第六日曜日

福音ルカ736-50

罪深い女を赦す さて、あるファリサイ派の人が一緒に食事をしてほしいと願ったので、イエスはその家に入って食事の席に着かれた。この町に1人の罪深い女がいた。イエスがファリサイ派の人の家に入って食事の席についておられるのを知り、香油の入った石膏の壷を持ってきて、後ろからイエスの足元に近寄り、泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛でぬぐい、イエスの足に接吻して香油を塗った。イエスを招待したファリサイ派の人はこれを見て、「この人がもし預言者なら、自分に触れている女がだれで、どんな人か分かるはずだ。罪深い女なのに」と思った。そこで、イエスがその人に向って、「シモンあなたに言いたいことがある」と言われると、シモンは、「先生おっしゃってください」と言った。イエスはお話しになった。「ある金貸しから、二人の人が金を借りていた。1人は五百デナリオン、もう1人は五十デナリオンである。二人には返す金がなかったので、金貸しは両方の借金を帳消しにてやった。二人のうち、どちらがその金貸しを愛するだろうか。」シモンは「帳消しにして貰った額の多い方だと思います」と答えた。イエスは、「そのとおりだ」と言われた。そして、女の方を振り向いて、シモンに言われた。「この人を見ないか。わたしが、あなたの家に入ったとき、あなたは足を洗う水もくれなかったが、この人は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれた。あなたはわたしに接吻の挨拶もしなかったが、この人はわたしが入って来てから、わたしの足に接吻してやまなかった。あなたは頭にオリーブ油を塗ってくれなかったが、この人は足に香油を塗ってくれた。だから、言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさでわかる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない。そして、イエスは女に、「あなたの罪は赦された」と言われた。同席の人たちは、「罪まで赦すこの人は、いったい何者だろう」と考え始めた。イエスは、女に「あなたの信仰があなたをすくった。安心して行きなさい」と言われた。

福音を顧みて

遠藤周作の著書のどこかに感銘深い証言を読んだ記憶があります。作家が、聖書のどこの箇所によりイエス・キリストの心の秘儀を深く見抜かせてくれた一節があると語り、それを「キリストの心底の鍵」と名付けています。その尊い鍵は、丁度今日読まれる福音に安置され、「許されることの少ない者は、愛することも少ない」という一節です。司祭達の説教の中に殆ど引用される事の無いこの語句は、どうして遠藤周作さんの人間性に、全聖書の要として響いたのでしょうか。「全力を尽くして神を愛し・・・隣人を自分のように愛しなさい」、あるいは「自分の敵を愛しなさい」という有名な愛の掟よりも・・・

普段、私達は愛に入道する為には、立派な道徳を重ねる事によって出来ると思い込んでいます。良心に咎める一抹の陰もない状態にある人間こそ、愛の道に最優等の合格者と思うのは常識とし、却って、罪を許される必要のある罪人は、慈悲深い神様の赦免によってかろうじて救われる事があっても、自分から他人を愛する資格を持っていないと宣言しがちです。

ファリサイ派の人々は細心をもって完璧な生き方を送る事を目的にしていました。しかし、綺麗な格好の下に人間的な心が宿っていませんでした。自分達のことを「ファリサイ」すなわち「清い者」とあえて自称していたファリサイ派のシモンは、一緒に食事を取る為にイエスを自宅に招きました。彼は自分の完璧さに自惚れて客に対するもてなしの作法を殆ど省略して、イエスは足が埃だらけで、顔が汗ばんでいたけれども、それに気付く事なく、おそらく自分の邸宅に対する客からの褒め口ばかりを狙っていた様です。完璧さへの欲は心を窒息させてしまったでしょう。

その町に住んでいた罪の女がイエスの到来を聞いた時、是非イエスにお目にかかりたいと切望して、密かに食事の広間に入ってイエスの後ろの床にじっと座りました。埃だらけのイエスの足を見ていたわり、涙で洗い、長い髪の毛で拭い、香油を注いで接吻しました。それを見て疑わしく思ったシモンに向かってイエスは「この人を見ないか。私があなたの家に入ったとき、あなたは足を洗う水もくれなかったが、この人は涙で私の足をぬらし・・・だから言っておく。この人が多くの罪を赦されたことは、私に示した愛の大きさに分かる。赦されることの少ない者は、愛することも少ない」と仰いました。

キリストの愛は、自分が優れている立場から下に向いて低い者を愛するそれではありません。そう言った人々の愛は、対象者を低める重苦しい愛です。

罪の女は自分がただで赦され愛された体験から、自分もただで他人を愛する事が出来るようになりました。真の愛は、謙遜で有難い心から湧くのです。「許されることの少ない者は、愛することも少ない」。

分かち合い

valentine

St.Valentine’s Day聖ヴァレンティーノに関しては色々な説がありますが、神様の愛の為に人生を捧げた人です。バレンタィン司祭殉教者269年頃は、ローマ皇帝クラディウスのキリスト教迫害下にあって、ローマの司祭として、熱心に宣教し苦しむ人、貧しい人、病める人を助け導きました。ヴァレンティーノ司祭に宣教を止めさせる様に命令を受けたローマ判事アステリアは、目の不自由な娘がヴァレンティーノ司祭の祈りによって治った事から、家族全員で洗礼を受けキリスト教徒となったので、皇帝はヴァレンティーノ司祭はじめアステリアらを270214日に処刑しました。中世になると聖ヴァレンティーノの記念日に異性に愛の告白のカードを渡す慣習が広まりました。チョコレートを味わうのも良いでしょうが、私達は聖ヴァレンティーノの殉教を偲んで、彼の様に神様の愛に交わる事を願うのはどうでしょうか。澄玲

今週の福音

15 () ルカ736-50

16 (月)マルコ 1030-45

17 () マルコ 1046-52

18 () マルコ 1112-46

19 () マルコ 1115-19

20 () マルコ 1127-33

21 () ヨハネ 423-26

22 () ルカ189-14

バチカン便りⅡ(2009-01末)

各位 良き年をお迎えになったこととお慶び申し上げます。 報告 昨秋「カトリック教徒の麻生総理」が就任してから、特にカトリック系メディアを中心に、私のオフィスには多くの問い合わせが来ています。私自身、その関連で何回も質問されました。当地における総理への関心にはなかなかのものがあります。中でも、法王庁系のオセルバトーレ・ロマーノ紙は、1月24日に、第1面と3面を使って、麻生総理のインタビュー記事を大きく掲載しました。イタリア語の記事ですが、添付しますので、ご覧下さい。なお、近く、英語、仏語版も出ると聞いています。

併せて、この1月に見聞した中から、2点をご報告致します。 1.法王の年頭演説 今年も、新年好例の、法王による「国際問題に関する年頭演説」がありました。 すなわち、法王ベネディクト16世は、18日に全外交団をバチカン宮殿「王の間」に招致の上、これまた例年通りフランス語で約30分演説しました。法王は、約40に及ぶ国際問題(ガザ紛争、イラクなどの地域問題、平和、貧困、人権などのテーマ別問題の双方を含む)につき所見を開陳しましたが、特に印象深かった3点につきお話しします。 第1点は、ガザ紛争について、「国際社会の黄門様(!)」として、関係当事者に武闘停止を強く求めたことです。大変熱がこもっているとの印象でした。国際社会に、「やるべきことがまだあるのではないの」と叫んでいるようにも感ぜられました。この問題については、その後も賑やかな舌戦が展開されています(注)。 第2点は、市場主義の行き過ぎ、金融市場の危機に関連して、モラリズムなき経済運営では駄目だとの明確な指摘があったことです。なお、この点については、法王は既に数回に亘り発言しています(たとえば、前回の「バチカン便り⑩」でも触れました)。

第3点は、日本につき、より具体的には、昨年11月に長崎で行われた188人の列福式について、言及があった点です。実は、日本への言及は珍しいことでして、発言があったこと自体特記事項と言えます。右言及は、アについての諸発言の一環としてあったもので、「アジアでは、信者の数こそ少なが、(かれらは)国全体の幸福、安定、進歩のために貢献しており、・・・神の言葉を忠実に守っている・・・・日本の列福式はこのことを雄弁に物語っている」というものでした。そこで、演説終了後、各大使より個別に挨拶した際、私より「日本の関係者は式典の成功を大変喜んでいました。」とお話ししたところ、法王より「自分も喜んでいる」とのお答えがありました。 総じて言えることは、世界を見渡せば見渡すほど、「法王の悩みは尽きない(第3点は別として)」と言うことです。遺憾なことですが。 (注)ガザ関連では、法王が上記演説で、近く実施される選挙で和解志向の指導者が出現することを期待すると付言したことや、正義・平和問題庁のマルチーノ長官が、ガザ地区の惨状をナチスの強制収容所に似ると発言したこと(加えて、英国バ-ミンガムの司教が「ガザはオープン・スカイ刑務所だ」と発言)に対し、イスラエル当局や欧州のユダヤ系団体代表が不快感を表明。法王庁とイスラエルの間には、その他にも問題があるため、5月に行われると一部で報道されている法王のイスラエル・パレスチナ訪問の実現を危ぶむ声も聞かれます。 2.オバマ新大統領への祝電 1月20日法王はオバマ米大統領就任に当たり、祝電を送りました。その中で、特に、「世界中で多くの人々が、貧困、飢え、暴力の犠牲になっている中、新大統領が諸国間の理解・協力・平和を促進するため決断を新たにすることを期待する」と強調しました。他方、米国の司教協議会のジョージ会長も祝電を送りましたが、その中で、中絶、産児制限、ES細胞研究などに反対だとの同協議会の従来よりの立場を再確認した上で、生殖細胞の破壊につながるような研究への財政支出に反対した前政権の方針を踏襲して欲しいと要請しました。 以上の2つのメッセージは、カトリック教会のオバマ氏に対する期待と不安の交錯した微妙な気持ちを良く示しています。 つまり、国際協調路線に立って、貧困、中東、イラン、気候変動などの諸問題に取り組んで欲しいとのオバマ氏への期待が強い(この面では、前政権は「うまが合わなかった」だけに)反面、生命・家庭倫理問題に関しては「相対主義路線」を突っ走って貰っては困るとの懸念も強く(この面では、前政権の方が「うまが合った」)、カトリック教会は微妙な気持ちでいるということです。 その他 話は変わりますが、昨年11月から、ミラノの”JAPAN-ITALY COM.”が提供しているビジネス&トラベル媒体に拙文を連載中です。バチカン絡みの話が中心ですが、関心ある方は、下記をクリックの上ご笑覧下さい。 シリーズ名:「バチカンに考える」(計4回) JIBOJapan-Italy Business On-line)」: http://www.japanitaly.com/jp Italy ews」 → 「Special Reports」 → 「Zoom-Up 第1回:「バチカンから見た欧州」(2008.10.31) 第2回:文明論の視点から見たカトリック教会(2008.12.30) シリーズ名:ローマこだわり歴史・文化散策(計4回) JITRA(Japan-Italy Travel On-line)」:http://www.japanitalytravel.com/ または http://www.japanitalytravel.com/roma_rekisi/top.html 第1回:サンピエトローニ(ローマ石畳考)(2008.11.15) 第2回:欧州に2億人の文明圏を作った男(聖クレメンテ教会の隠れた見所)(2009.1.15) 今回は以上ですが、今後とも随時報告申し上げたく、ご愛読いただければ幸いです。 なお、2月下旬に大使会議で短期間帰国します。あわただしい1週間ですが、一部の方にはお会いできるのではと思っております。 末筆ながら、本年におけるご発展、ご健勝を心よりお祈り致します。 上野景文(於バチカン)

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