ミラノ日本人カトリック教会
Milano Cappellania Cattolica Giapponese (Luciano Mazzocchi
神父)

2009111日-主の洗礼

福音 マルコ1・7-11

彼はこう宣べ伝えた。「私よりも優れた方が後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。わたしは水であなたたちに、洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」

イエス、洗礼を受ける そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来て、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。水の中から上がるとすぐ、天が裂けて、

霊“が鳩のように、ご自分に降ってくるのを、ご覧になった。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。

誘惑を受ける それから、“霊”はイエスを荒れ野に送り出した。イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。

ガリラヤで伝道を始める ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。

福音を顧みて

主の公現祭に次ぐ日曜日は「主の洗礼」の祝日に定まっています。主の洗礼を祝って新年の歩みに就くのは、何とふさわしい出発でしょう。確かに、洗礼が新生の秘跡です。ところが、「主の洗礼」と言うと、それはイエスが人に洗礼を授けることではなく、却って、主が人(ヨハネ)から洗礼をお受けになる光景を言っています。天と地を結ぶ絆であるキリストは、天も地もこぞってその到来を望み、その出現を営むのです。こうして、天も光をもって、地も陰をもって、キリストへ導いてくれます。光と陰が交合することによってもろもろの色合いが反射し、人生の諸現象が舞い上がって来ます。キリストは、神性と人性との出会いです。

カトリック教会の伝統によれば、キリストへ帰依する道則にそっては特別な恵みを授かる七つの秘跡があります。秘跡を授かる段階は、丁度人生の「道程の区切り」というか、「途中の休息地」というか、とにかく人生の方向を正さなかればならない重大な選択が迫るときです。やはり、秘跡は人生の支えですね。宗教自体は人生を照らす明かりです。人生の切り替えに恵みを潤してくれる七つの秘跡は洗礼、堅信、聖体、告解、病油、叙階、結婚で、各秘跡が施される段階は、人間がその恵みを要する時節に至ったときです。生命の道程!恵みの道程!言うまでもなく、洗礼は生命の誕生、あるいは改心の再出発の時節に授けられる秘跡です。今までナザレの大工として毎日を送っていたイエスという若者は、今度荒れ野の試練を経てから福音を宣べ伝えて行く事を決心なさいました。キリストの誕生です!洗礼の時節です!イエスの洗礼の施行は「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と啓示なさる天の父と、水の流れにイエスの体を浸す人間であるヨハネとの共同式です。

多くの日本人は洗礼を受けるまでに、探求の長い道のりを経るのです。受洗までの道則は地からの努力で尊い時節です。何時か、必ず天が裂けて「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という神からの声が聞こえて来るでしょう。そのとき、頭をかがめて恵みの流れに身を投げましょう。恵みの流れを実感させてくれる水にも・・・有難う!

分かち合い

日本語では音名はハニホヘトイロ、英語圏、ドイツ語圏では夫々の国の発音でCDEFGAB-Hですね。イタリア語はベルカント(美しい歌)唱法の国、発声を学べる国ですが、お馴染みのドレミファソラシは、ベネディクト派の修道士アレッツォ(ローマとフィレンツェの間)のグイド修道士(約990年―1050年)が、聖ヨハネに捧げた賛歌で、6つの句が音階のうちの1つで始まり、1句毎に上昇して、フレーズ毎の始めの音がドレミファソラシの音階になり、世界中で使われる様になりました。澄玲

聖ヨハネ賛歌

Ut queant laxis, Uが主を示すDominusのドになりました。

Resonare fibbris,

Mira gestorum,

muli tuorum,

Solve polluti,

Labii reatum,

Sancte Ioannes. Saがシになりました。

この後、最後にアーメンと歌われます。

ut_queant_small

今週の福音

11 (日)  マルコ17-11

12 () マルコ11-8

13 () マルコ114-23

14 () マルコ121-34

15 () マルコ135-45

16 () マルコ213-28

17 () ルカ 1616-17

18 () ヨハネ 21-11

恵みの流れに身を沈める受洗者と、また教会で全力を挙げて聖歌を歌う信者歌手と、どちらも深くて美しい法悦を味わうでしょう。また、私たちにも味わわせてくれますね。去年の十月十二日、坂口みどりさんがミラノの教会で「a solo」の演奏を展開なさいました。それに与った私にはメロヂーの典礼のように響き、心身ともに愉快!。以下は、週報に載った「祈り」という、玲子さんの作文を関連して、坂口さんが聖歌を歌う喜びについて書いた感想文です。有難う。(ルチアーノ神父)

教会で音楽を奏でる

私は声楽が専門で、教会で宗教曲を歌う機会があります。10月に私は教会でリサイタルをしました。教会で音楽会をさせて頂くのだから、プログラムの中に宗教曲を入れようと思いました。丁度10月の音楽会であったので、一部はグノーの「アヴェ・マリア」から始め、二部はモーツアルトの「アレルヤ」から歌い始めました。
教会は良く音が響くように設計されています。柔らかく歌っても声が良く響いて透るので、歌っていると心地よさを感じます。聴いている人もそうではないかと思います。
又、私は宗教曲を歌うことは神様に捧げる、神様に向かって歌うと感じます。この上もない喜びです。歌うことは二倍お祈りをする効果があるといいます。これからも私は宗教曲を歌い続けようと思います。

教会で宗教音楽を奏でることは、音楽の中で最高のことであると確信しています。坂口みどり

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