ミラノ日本人カトリック教会
Milano Cappellania Cattolica Giapponese (Luciano Mazzocchi
神父)

20081214日:ミラノ聖アンブロージョ典礼・待降節第五主日

福音 ヨハネ119-28

洗礼者ヨハネの証し さて、ヨハネの証しはこうである。エルサレムのユダヤ人たちが、祭司やレビ人たちをヨハネのもとへ遣わして、「あなたは、どなたですか」と質問させたとき彼は公言して、隠さず、「わたしはメシアではない」と言い現した。彼らがまた、「では何ですか。あなたはエリヤですか」と尋ねると、ヨハネは「違う」と言った。更に、「あなたは、あの預言者なのですか。」と尋ねると、「そうではない」と答えた。そこで、彼らは言った。「それではいったいだれなのです。わたしたちを遣わした人々に返事をしなければなければなりません。あなたは自分を何だというのですか。」ヨハネは、預言者イザヤの言葉を用いて言った。「わたしは荒れ野で叫ぶ声である。『主の道をまっすぐにせよ』と。」

遣わされた人たちはファリサイ派に属していた。彼らがヨハネに尋ねて、「あなたはメシアでも、エリヤでも、またあの預言者でもないのに、なぜ、洗礼を授けるのですか」と言うと、ヨハネは答えた。「わたしは水で洗礼を授けるが、あなたがたの中には、あなた方の知らない方がおられる。その人は私の後から来られる方で、わたしはその履物のひもを解く資格もない。」これは、ヨハネが洗礼を授けていたヨルダン川の向こう側、ベタニアでの出来事であった。

福音を顧みて

ユダヤ人達と祭司達がヨハネに「あなたは誰ですか」と取り調べるのです。「わたしは荒れ野で叫ぶ声である」とヨハネが答えると、彼らは「あなたはメシアでも、エリヤでも、またあの預言者でもないのに、なぜ、洗礼を授けるのですか」と言って、彼の証しを断りました。結局、彼らにとっては、人の証言の真偽はその敬称やその人が占める社会的な位置によると思い込んでいました。しかし、ヨハネはメシアでも、エリヤでも、預言者でもなく、ただ「荒れ野で叫ぶ声」でした。そして、ユダヤ人達は彼の証しに耳を傾けませんでした。

正に、真理は「荒れ野で叫ぶ声」です。しかし、私達も「荒れ野で叫ぶ声」という真理より、名目上の現実に惹かれるのです。何故か、私達の心理の憧れは純粋ではなく、真理に対してよりも人の社会的な位置に興味があります。司祭である私だって、もし同じ戒めが偉い方と低い立場の人から宛てられた場合、きっと偉い方に頭を下げて聞いておきますが、位の低い人には蔑みの視線を返してしまうかもしれません。事実、私達は人の位の上下に動かされている為に、もし「荒れ野で叫ぶ声」でしかなかったヨハネと会っていたら、おそらくその証しに注意を注がなかってしょう。それだけではなく、ナザレの大工でしかなかったあのイエスに関しても、ユダヤ人達と同じく「我々はモーセの弟子だ・・・あの者(イエス)が何処から来たのかは知らない」(ヨハネ929)と断って退いていたかも知れません。

真理は人間が自分を中心として引く一線に縛られない、どんな文化もどんな宗教も超える無限の視野、いわば神の心です。「私はあなたに天の鍵を授ける」(マタイ1619)と約束され、主から教会内の最高の指導の役に立てられたペトロは、その位に立てられるや否や、十字架の使命を抱く覚悟を打ち明ける主に、十字架を捨てる様に勧めました。多分、あの偉い位に立てられた故に、あえて主の意思に逆らう方向を忠告する権利を得たと思っていたに違いありません。それに、「サタン、引き下がれ」と主は怒鳴られました。やはり、真理はどんな親しい人間関係にも左右されない「荒れ野で叫ぶ声」です。

待降節はどんなえこひいきも断り、どんなに密着した習慣にも拘らない「荒れ野で叫ぶ声」である真理に向かって帆をかける時期です。宿屋の主人から宿泊を断られたマリアとヨセフが目前の目当てもなく、ただ永遠の導きに従って野原を歩き回っていました。すると、見よ!馬小屋がはるか彼方に現れました。その素朴な小屋にこそ、永遠なる真理が受肉されました。アーメン。

分かち合い

ミラノ日本人カトリック教会の降誕祭(クリスマス)2008

クリスマスの時期における行事

  • 12月18日(木)午後から晩にかけて、教会堂の中にPresepioを作ります。
  • 12月19日(金)19.00-21.00 教会で黙想会を行います
  • 12月21日(日)11.00 待降節第6日曜日のミサ

16.00 教会堂でミラノ滞在若い日本人歌手のクリスマス演奏

  • 12月24日(水)(クリスマス・前夜)教会で

20,30 黙想・許しの秘跡、
21,30クリスマス歌ミサ・祝い

  • 12月28日(日)11.00 ミサ
  • 12月29・31日 デジオの福音と禅の家で黙想・祈り・研修・親睦

教会堂の盆栽・折り紙Presepio巡礼・鑑賞 (入場自由)

12月25日 (木)クリスマス 15,00-19.00

12月26日(金) 10.00-12.30; 15.00-19.00

12月27日(土) 10.00-12.30; 15.00-19.00

12月28日(日) 15.00-1900

今週の福音

14 () ヨハネ 119-28

15 () マタイ2115-22

16 () マタイ 11-17

17 () ル カ 11-17

18 () ル カ 119-25

19 () ル カ 139-46

20 () ル カ 157-66

21 () ル カ 128-38

* * * *

ピカピカするデコレーションの商店街を買い物に歩き回る私たちのクリスマスは、聖書に記されている本物のクリスマスと、どれほど縁の遠いものでしょうね!ミラノ滞在中、可愛いお子さん(美聖さんと将貴君)を連れて奥さん(容子さん)と一緒に日曜日のミサに来られた中野貴男さんが、二年前からご家族を日本に戻して、一人でサウジアラビアに赴任しておられます。中野さんが送ってくださった以下の文章にあるように、習慣は全く違うサウジアラビアの一人での生活は、如何に厳しいものかと察せられます!中野家全員はせめてクリスマスとお正月を一緒に過せることを祈ると共に, わが家を離れたすべての方々に新希望を孕む2009年を願います。ルチアーノ神父

サウジアラビアにて

私は電子メールをいくつか持っていまして(仕事用、家族用、買い物用、教会用)しばらくこの教会用のメール箱を開けておりませんでした。しばらく心も神様に開けていなかったという事ですが・・・私はサウジアラビアの外国人居住区のようなところに住んでおりますが、朝夕夜中かまわずプロパガンダのように流れてくるコーランの放送にいらいらする毎日です。居住区の外に出ても、町中が宗教警察の監視下にあります。私が限られた範囲で見る限りこの国はイスラム教しか許されていないので、宗教間のぶつかりあいというものはありませんので一応表面上は平和だし、治安も表面上はいいのです。特に皆様の参考になるようなことはありませんが、異国の地で、迫害を受けながら宣教をされてきている神父様、シスター方は、本当に大変なんだろうと改めて感じる次第であります。私はこんなところで宣教も何もありませんし、そもそも自分自身があやしくなりつつあります。すいません、しばらく神様から心が離れておりましたので、こんなことしか書けません。
先週、丁度、日本に一時帰国しておりまして、昨日再びサウジアラビアに戻って参りました。私が降り立つ空港はイスラムのメッカ、まさにメッカの玄関口であるジェッダというところ。今の時期、世界中からイスラムの巡礼者が集まる時期で、私の席は彼らの真っ只中・・・さらに私の隣は何年も風呂に入っていないような悪臭を放つ老人・・・前の席の巡礼者の夫人たちもたまりかねて他の男性巡礼者に席を替わってもらったりするほどでした。そのフライトは空席がなく、私はもはや逃げ道が無くなってしまいました。しかたなく、エアコンの排気口を私の顔に向け全開にし、なんとか臭いをしのぎ、機内食も全てPassし、2時間余りを耐え抜きました。途中、老人が何かと用事を言いつけてくるので、席を通路側に代わってあげたり、シートベルトの付けはずしを手伝ってあげたりしながら面倒を見て、自分ながらいい人だと、聖マザーテレサ気取りでした。飛行機が着陸態勢に向かうにつれて、巡礼者達が聖地メッカへの気持ちが高ぶり、機内でイスラムの大合唱が始まり、このままどこかのビルに突入するのではないかと危ない雰囲気を感じながら、それでも私にとっても臭い老人から開放される喜びで飛行機の到着を喜びました。そして着陸し、シートベルトサインが消えるのも待たずしてキャリーバッグを取り出し、外に出ようとしました。その時キャリーバッグがやけに重たいので後ろを振り返ると、例の老人が私にぴったりくっついてきて、彼の汚いかばんを私のキャリーバッグの上に乗せて一緒に運ばせようとしていました。とうとう、私は限界に達
し、“Don’t Put It On My Bag!!! Are you kidding!!”「私のかばんの上に物をのせる
な!ふざけてるのか!!」と、どなってしまいました。一瞬機内が凍りつき、老人も後ずさりし、周りのスカーフ姿の婦人達も身動きひとつしなくなりました。私にとっては意外な反応で、「ああ、ムスリムは意外と臆病なんだ・・・」と、思いました。しかしそこで「言い過ぎた、ごめん」というそぶりを見せるとまた、調子に乗ってきますので、そのまま飛行機のタラップを降り、快適な外国人居住区へと帰路につきました。聖マザーテレサも切れる時はあったはずだ・・・と自分に言い訳をしながら。外国人居住区内は、オイルマネーで潤っており、文明社会の一通りの生活はできます。食堂は日本食、洋食、ハンバーガー等あります。お手伝いさんはそれほど一般的ではなく、そもそも、きれい好きの日本人には、お手伝いさんは必要ないかもしれません。Officeには掃除担当のネパール人TeaBoyがいますが、真っ黒な雑巾で机を拭こうとするので、「拭かなくていいか、いいから・・・」と、いつもなだめています。中東のオイルマネーに群がる世界中の人たちを私なりに人種別に分類すると、イギリス人は口出しのコンサルタントばかりというイメージ、ドイツ人は頭はいいが冷たい感じ、イタリア人はぎりぎりになってどたばたするが最後に何とかする、インド人は頭が良く素直で頼りになる、フィリピン人は英語の下手な日本人でも尊敬してくれて人情がある、日本人は英語が下手で腰が低く働き者で仕事が一番大事、という感じでしょうか。何がいいのかよくわかりませんが、違うということは確かです。その違いに応じて仕事を割り振るというのも一つの考え方でしょうか。また性格の違いだけでなく、世界には金銭的に富める者、貧しい者の違いもあり、ここではそれが一目瞭然で、工場の建設現場ではワーカー達が自分達の100分の1くらいの給料で灼熱の中で働いています。自分達は工事品質管理が仕事だから図面どおりにできていなかったらやり直しをエアコンの効いた部屋から指示します。しかしそれが自分の仕事。これも役割分担の一つと考えてよいのだろうか、それとも罪を犯し続けているのだろうか・・・またそんなことも、ここしばらく考えたこともなかったし、考えたところで聖フランチェスコのように着の身一枚でワーカー達の下に飛び込んでいく訳でもない・・・ただどうして神様は私をこんなところに送られたのだろうかと、苦悶するばかりです。今日も朝からモスクのスピーカーからお祈りの叫びが聞こえてきます。  中野 貴男

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