ミラノ日本人カトリック教会
Milano Cappellania Cattolica Giapponese (Luciano Mazzocchi 神父)
2008年9月28日 ・ 年間第二十六主日
福音 マタイ 21・28-32
〔そのとき、イエスは祭司長や民の長老たちに言われた。〕 「あなたたちはどう思うか。ある人に息子が二人いたが、彼は兄のところへ行き、『子よ、今日、ぶどう園へ行って働きなさい』と言った。兄は『いやです』と答えたが、後で考え直して出かけた。弟のところへも行って、同じことを言うと、弟は『お父さん、承知しました』と答えたが、出かけなかった。この二人のうち、どちらが父親の望みどおりにしたか。」彼らが「兄の方です」と言うと、イエスは言われた。「はっきり言っておく。徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう。なぜなら、ヨハネが来て義の道を示したのに、あなたたちは彼を信ぜず、徴税人や娼婦たちは信じたからだ。あなたたちはそれを見ても、後で考え直して彼を信じようとしなかった。」
福音を顧みて
今日の御言葉は如何に人間味に溢れる福音かな!先ず、「いやです」と答えて、後になると、考え直して父親の命令に従う息子の姿は、気まぐれな私達の子供とそっくりですね。子供達に限らず、私達大人の象徴でもあります。断ってから考え直して実行する子供と、「はい」と素直そうに答えてから実行しない息子が出ますが、「はい」と答えてからすぐ素直に実行する子供の例は出ません。多分、そういった完全で曲がり角を知らない人物は主の福音の舞台にやる役が無さそうです。やはり、「悔い改める一人の罪人については、悔い改める必要のない九十九人の正しい人についてよりも大きな喜びが天にある」(ルカ15,7)と仰ったイエスにとっては、捻くれた私達の人材が福音の愛の冒険に改心するのに最適です。だから、主の前に出る時は、有りのままの自分を隠したり、あるいは臨機装飾を利用したりする必要は決して無く、赤裸々に心の底まで打ち明けましょう。大切なのは、いくつかの角を曲がってからでも、素直な信仰に辿り着く事です。じゃ、恵みの時が尽きる事はありません。
「その時、イエスは祭司長や民の長老たちに言われた」とは今日の福音の序文で、言うまでもなく、福音のメッセージは特別に聖職者に宛てられている訳です。
旧約聖書が何ページも献じて上げるところから見ても、司祭と長老の率先は共同体の為に欠けてはならない大役です。しかし、ただで授かった聖務の故に思い上がり、宗教的な立場を利用して人々の魂を圧制する可能性があります。宗教の指導者が高ぶれば、信徒も信徒として思い上がって信仰の代わりに熱狂を唱えてしまうのです。宗教の道は愛ですが、あべこべに暴力の世界に変化してしまう可能性があるのは、目下の事実です。実は、宗教界には慢性的な誘惑が密かに働いていて、それは、今日の福音に言われる「祭司長や民の長老たち」は、過ぎた時代の司祭たち、あるいは他の宗教の指導者たちに関する問題に帰して片付けて、福音をなおざりにしてしまう傾向です。司祭である私も、自分と関係ないお言葉だと胸を撫でおろしがちです。こうして、福音の刺激は無効で、無益です。「はっきり言っておく。徴税人や娼婦たちの方が、あなたたちより先に神の国に入るだろう」。
確かに、司祭長のような偽の聖人より、娼婦や徴税人のような本当の罪人が神の国に近いです。 偽の聖人は自分を正当化して、福音に耳を傾けないし、もし聖書を読むとすれば、それは他人に教える為で、先ず自分自身の為に意識しないのです。体を売り出す嫌悪を痛感せざるを得ない娼婦は、おそらく偽の聖人より改める分岐店により近いでしょう。最後の晩餐の席で主に向かってペテロが、「たとえ、皆がつまづいても、私はつまづきません」と誓いました。しかし、その誓いには自惚れが潜んでいて、教会の礎に任命されたペトロは、逮捕されたイエスが大司祭館に護送されたあの夜、大司祭の女中が「あなたも、あのナザレのイエスと一緒にいた」とばらした時、断じて弟子の身分を否みました(マルコ14,69)。今日の厳しい福音は一人残らず司祭であれ、信徒であれ、皆に宛てられた主の心がこもった忠告です。
助言や忠告を申し上げる率直な建設性をもつ信徒会や司牧評議会を恵まれた司祭達や長老達は幸いです。司祭は毎日の辛い生活に励む一般信徒から謙遜さを学び、謙遜な心をもって主の福音を信徒に伝え注ぐ営みは、丁度天が雨を降らせて地を潤し、地は再び水を蒸発して天を潤し返すような、「愛はすべてを完成させる絆です」(コロサイの信徒への手紙3・14)の実現です。
分かち合い
9月28日は「世界難民移住移動者の日」です。このミラノ司教区カトリック日本人教会は2005年10月1日、ミラノのテッタマンツィ大司教様のご決定により公式に設立されました。それ以来ルチアーノ神父様ご指導の元に私達は神様にお呼び頂いて、皆が異国で助け合い、1つになる様、努めて参りました。又ミラノ、ミラノ郊外に居る日本人信者、未信者の方々にも私達が奉仕のお手伝いを出来る様に心がけています。日曜日、木曜日の御ミサ、勉強会そして神父様に個人面談をご希望の方はいつでも訪れて下さる様にお待ち致しております。 今年は使徒聖パウロ生誕2000年(2008年6月28日―2009年6月29日)で す。第2朗読では使徒パウロのフィリピの教会への手紙が3回続いてこの後も2回続きます。今日は2・1-11で、“霊“による交わり(信者の間の1致)が書かれています。パウロは獄中からも共同体の事を気づかっています。続いて福音はマタイ21・28―32です。この解釈は難しいですが、私は未だ良く畑を耕せていないと思うので、聖霊様にご加護を願って、愛によって互いに支えられる様、そして畑を十分に耕せられる様に祈ります。 澄玲
今週の福音
28 (日) マタイ21・28-32
29 (月) ヨハネ 1・47-51
30 (火) ル カ 9・51-56
1 (水) ル カ 9・57-62
2 (木) マタイ 18・1-5,10
3 (金) ル カ 10・13-16
4 (土) ル カ 10・17-24
5 (日) マタイ 21・33-43
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「わたしには都合はありません」
以下の証言は二人のシスターの修道誓願50年・60年記念ミサの際、司祭が述べた祝意の説教です。少々長いけれども、読んで見たところ、深く深く感動しました。平常の生活の中で静かに神様の愛を証す無名の殉教者に献じた歌です。「殉教者は今までも私たちのすぐそばに、仲間たちの中にいました。ほとんどが無名の人です」。皆さん、是非お読みになってください。ルチアーノ神父
「あなた方は、私が試練にある時、私と共によくふみとどまってくれた」。これはイエス様が弟子たちに、仕えるということがどんなことかそれを説明された時、その最後に言われた言葉です。「私が試練にあった時」この「試練」は、皆さんがこれまで味わってきた試練とも言えます。皆さんの味わってきた苦しみは、キリストの苦しみだったのです。ですから、「良く踏みとどまってくれた。よく逃げ出さないでくれた。だから、私の喜びに入りなさい」とキリストはいうのです。よく頑張って、50年60年続けてきましたね。それだけで、もう文化勲章ものです。世界遺産にしてもいいくらいです。教会の建物を世界遺産にしなくともいいんです。それよりもかえってキリストの思いをずっと生きている人間のほうがずっと尊い遺産です。それを受け継ぐことは遺産を受け継ぐことなのです。建物を残すことでは有りません。
「天の父が完全である様に、あなたがたも完全な者になりなさい。」これは、マタイ福音書が伝えたイエスの招きです。天の父は完全な方、あなた方は完全になりたければ、自分の持ち物をみんな捨てて、私に従えというのです。これは福音的勧告の招きです。人間はみんなそれぞれ、もう少し優しく生きたい、もう少しまともに生きたいと思うのです。しかし、イエス様はそんな中でも、特別に完全になりたければと言ったのです。そのために、結婚生活や自分の財産、あるいは自分の意思さえ横において完全に従うこと、それが、あなた方が完全になりたければという意味だったのだろうと思います。
こういう生き方は三つの誓願はたてなかつたにしても、日本の教会の450年の歴史を丁寧に見て、いくと私たちの先輩たちがこれを本当によく生きた姿を見出します。それは私たちの教会が神秘に満ちていることでわかります。このことについて、黙想会の中でも一度触れました。司祭が一人もいなくなって、150年くらいたった時、1790年に浦上一番崩れというキリシタン検挙事件が起こりました。その時、長崎奉行がキリシタンたちの持っていた大切な書物、書き物を没収しました。「マルチリオの勧め」・「マルチリオの鑑」・マルチリオの心得」という三部作です。マルチリオというのは殉教という意味です。
司祭が一人もいなくなりました。表だって殉教という出来事がなくなりました。表面上は穏やかな時代、キリシタンたちは深い潜伏の中にはいっていきました。しかし、信者たちはいつ殉教してもいいように、毎日の生活を殉教者の心得を持って生きようと、それを皆で確認して生きていったのです。なぜ、日本の教会はミサもない、ゆるしの秘跡もない、一人の司祭もいない、そんな中で、ずっと信仰がまがらずにそれを伝えていくことができたのでしょうか?それは「あなた方の父が完全であるように、あなた方も完全でありなさい。」というあの聖書のみことばを、表だって波風がたたないこの平和な時代の中で、殉教者の心構えをもつて、自分たちの生活が殉教者と同じであるようにと、それをずっと繰り返していつたのです。今、私たちに求められているのは何かというと、それは私たちも殉教者になるということなのです。殉教の勧めは、実は今の私たちに向けられているのです。なぜ、日本の教会はこんなに元気がないのでしょう。なぜ、こんなに行きづまってしまったのでしょう。なぜ、こんなに覇気がないのでしょう?それは、私たちが殉教の心構えをもたないからです。どういうことかと言いますと、殉教とは必ずしも首をはねられたり、火あぶりになったり、穴釣りになったりということではありません。殉教は、ある時代の際立った最期のしるしです。しかし、本来の殉教というものはそのような意味ではなかったのです。殉教ということばは「マルチリオン」というギリシャ語から来ている裁判用語です。裁判の時に原告と被告が立たせられます。その時、必ず証人が連れて来られます。この証人を、あかしする人を「マルチリオン」と言ったのです。やがて、このことばが教会の中に入って来て、人々が殉教していく時代に入ってきます。ローマが迫害の歴史に入っていったその時代に、命をかけ、生涯をかけてキリストをあかしした人、その人のことを「マルチリオン」、「あかし人」と呼んだのです。
私は今回、宗教はしるしであると言いました。宗教はシンボルです。たった一人でやつたことでも、全体を代表するだけのそういう力をもっているからです。皆さんも生涯かけてあかしする人になつてください。私はそれが奉献生活だと思っています。殉教者は今までも私たちのすぐそばに、仲間たちの中にいました。ほとんどが無名の人です。今回188人が列福されます。これは私にとってとても大きな励ましです。私が皆さんに伝えたいことがあります。それは、私のいう殉教の勧めがどういうものであるか、それを皆さんにわかってもらいたいと思うからです。私は2年前まで、島原の教会に12年間いました。私がこうしてキリシタン史にかかわるようになったのは、この島原教会に行ってからです。これは、5年前の話です。5年前の5月2日に島原教会のサカキミネオさんという信者の方が亡くなられました。亡くなったのは島原郊外の精神病院です。63歳でした。私たちは彼のことをミネヤン、ミネヤンと呼んでいました。63年のうちの最後の半分、33年間を彼は精神病院で暮らしたのです。もし、この人の身もと引受人になってくれる人がいたなら、彼は十分社会復帰して、当たり前に社会で暮らすことができた人でした。しかし、誰も引き受けてはいませんでした。それで彼はこの精神病院を終の住処にしていかなければなりませんでした。
私が島原教会に赴任した頃、彼はまだ調子がよくて病院の許可をもらって日曜日はバイクで教会に来ていました。やがて、教会にこられなくなると、私は月に2回、ご聖体をもってミネヤンを訪ねていました。ある時、もう一人の信者さんとご聖体を持ってミネヤンの所に行き、ご聖体拝領をした後に、3人で病室前のロビーでこんなやりとりをしたのです。「カトリック信者になって、こうして生きてはいるけれど、あなたを支えている聖書のみことばはなんですか?」、「かなたを支えていた、あなたに宿っているみことばはなんですか?」このような話になりました。一緒に行った信者さん、実はこの方は東京大学を出て、それから医者の道に進むために医学部に入り直したのですが、その途中で精神に支障をきたして田舎にかえってきたという人でした。この方は「`仰せのごとく我になれかし`というマリアさまのことばが私の人生の支えです。」と言われました。「ミネヤンは?」と聞きましたら、ミネヤンは、「いやぁ神父さん、私にはそういうたいそうなものはなかとですよ。私は中学校しか出ていませんのでようわかりません。せっかく洗礼を受けたのだから、私は死ぬ時に、あぁ、このひとは神様の子どもやった、そう言ってもらいたい」と、そう言ったのです。「神様の子どもだった、そう言ってもらいたい」そう言って聖書を開いたら最初に目に飛び込んできたのが”平和のために働く人は幸い。その人は神の子と呼ばれる”というあの真福八端のことばでした。「だから、私は平和のために働きたい」と、ミネヤンはそう言いました。私は意地悪く、揚げ足をとって、「ミネヤン、この精神病院で平和のためにどうやつて働くの?8月6日と9日が来たら戦争反対って言って、この廊下をプラカード持って、あちこち行ったり来たりする?」そんなことを言ったのです。そしたら、「そうですよね、ここではできませんかね」と言って、ケラケラ笑ったのです。その話はそこで終わりました。
やがて、ミネヤンに肝臓癌が発症し、病状はどんどん進行していきました。亡くなるちょうど一ヶ月前のご聖体を持っていく日、私は何となく気分がのらず、行きたくないなぁと思いました。それで、病院に電話をし、急用が入って都合がつかないとミネヤンに伝えて下さいと嘘をつきました。翌日、気分を取り直して病院に行き、開口一番ミネヤンに、昨日はごめんなさい、私の都合でこられませんでしたと謝りました。すると、ミネヤンはニコッとして、「神父さん、よかとです。神父さんの都合のよか時でよかとです。わたしは都合の言える人間じゃなかとです。私は親の都合で親のない子として生まれたんです。」と言いました。ミネヤンの母親は娼婦でした。自分の体を売って生きていくことを余儀なくされている女性だったのです。結婚してくれるという人が現れて、それを真に受けて子どもを宿したのです。ところが、子どもができたとわかったら、この男は早々に姿をくらましてしまい、帰って来ませんでした。母親はミネヤンを生みました。が、生まれたミネヤンは母親の子どもではなく、姉の子として認知されました。この母親はミネヤンが2歳の時に病気で亡くなりました。「神父さん、私は親戚の都合であっちにやられ、こっちにやられたとです。そして、親戚の都合で養護施設に入ったとです。中学校を卒業して大阪に出て、車の整備工の免許を取って何とか独り立ちしようと思ったとです。でも、病気の都合でここに入って来たとです。院長先生の都合で人に会うことも人に会わないことも・・・。それは、院長先生の都合なんです。」と、さらに続けました。院長先生の機嫌がよいと教会の仲間が行っても時々会わせてもらえるのです。ところが院長先生の都合が悪ければ身内ではないとだめなのです。この前はよかつたのに、今日はだめと言われるのです。こういうことを一番よく知っているのはこういう人たちなのです。「神父さん、今頃思うのです。人間は自分の都合で生きている間は苦しかとです。でも神父さん、神様の都合を考えるようになって、神様の都合に合わせて生きるようになれば、生きがいとか、自己実現とか、そういう難しいことはもうどでもよくなるんです。だから私はこの頃、心穏やかです。だから、神父さんの都合のよかときでよかとです。わたしには都合はありません。」このような衝撃を受けたのは初めてでした。金槌で頭を殴られるという言い方をしますが、私は小さい頃、父親からよく金槌の柄で頭を叩かれていましたが、それとは全く次元の違った深い衝撃を受けたのです。わたしはこの頃、初めてのケイタイを持っていました。ミネヤンには身内はいませんでしたので、もし様態が急変した時にすぐに連絡がつくように、携帯をもつように病院から言われていたのです。料金を先にはらって3000円分使えるプリペイド式のケイタイ電話でした。5月2日夕方5時半でした。ちょうど金持ちの前にいたラザロを天使がそっとアブラハムの懐に連れていくように、ミネヤンは静かに去っていきました。死ぬ前にミネヤンと約束していました。「私が死んだら神父さん、誰が葬儀ばしてくれるやろか?」「心配せんでよか、私がすべて責任をもつから」。そういう会話をしたことがありました。ですから、すぐにミネヤンの遺体を引き取って司祭館に安置しました。その時、弔問に訪れたのは、長年一緒にいた医師たちではありませんでした。病院には33年間いましたが、医者は来ませんでした。来たのは二人の掃除のおばさんでした。そして、そのおばさんたちはこう言ったのです。「ミネヤンがおらんごとなって、寂しゅうなりました。こういう人のおるところは平和だったんですよ」と。「平和だった。どうしてですか?」と思わず聞き返してしまいました。すると、「この人は自分の都合を言わん人でしたから。患者同士がちょっと病状が悪くなって衝突したり、収拾がつかなくなったら、ミネヤンをその間にいれるんですそしたら、静けさが戻るんです。この人は自分の都合を言わん人でしたからこの人を間にいれたら、そこに静けさが戻るんです。」と。ミネヤンは6人部屋にいましたが、しょつ中病室が変わっていました。行くたびに病室があっちこっちに変わっているのです。もう一人の信者さんはいつも同じ所だったので「何でミネヤンはこんなにしょっ中変わるのかなぁ」と思っていました。しかし、その時その理由がやっと分かりました。
「あぁ、ミネヤンはここの人やったとですか?ミネヤンは神様の子どもだったとですか?」とおばさんたちは言いました。「私は死ぬ時に、神様の子どもだったと、そう言ってもらいたい。だから平和のために働きたい」と言っていたあの言葉が脳裏に甦ってきました。ミネヤンは親を知らない子ども、親を知らない人間でしたから、誰の子かというのが、生涯のかれの平和だったのです。そして、せっかく洗礼を受けたのだから、私は神様の子どもと呼ばれたいという強い願いをもっていました。”紅の八重の椿は病体に日々を咲き継ぎ春を告げたり” 彼は短歌を詠んでいましたが、これは彼の辞世の句でした。窓から見える景色は、この病院の中庭だけです。そこに八重の椿ずっしりと花を咲かせています。そして、日々を告げる。つまり、もう少しよくなろう、もう少し新しくいきよう、もう少し優しくなろう、毎日、毎日新しく生きよう。イエス様が十字架上で息を引き取って野垂れ死にした時に、百人隊長が ”この人は本当に神の子だった” 言っています。ミネヤンの死も端から見ればみじめです。誰も身内がいないし、精神病院で息を引き取るし、しかし、掃除婦のおばさんたちは、ミネヤンが神の子だったとかんじているのです。最期にミネヤンは神の面影をはっきりと見せたのです。ミネヤンの人生をこのようにずっと動かしてきたのが、この方 (神様) なんですと言って、ミネヤンは彼のあの生き様の中にそれを見せたのです。 彼は殉教者だったと私はおもいます。これが “マルチリオン” “あかし人” なのです。私には殉教はできない、私だったら逃げ出す、そういう議論はどこか向こうにやってください。殉教者とはそういうことではないのです。殉教とはひびの生活の中で、よりよく、よりよく生きていく、それをずっと繰り返していきていく人です。そしてそれを神様がきちんと帳尻をあわせてくださるのです。今日は二人の姉妹たちのお祝いですけれども、ここで確認したことは、私たちが現代社会の中で “マルチリオン” になること、つまり、殉教者として生きていくことです。それぞれに与えられた場所でそれぞれの役職、担っている役割を徹底的に生きてみてください。その時、マルチリオンの意味が現れてくるはずです。」
2008年6月12日 - 古巣 馨師
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