ミラノ日本人カトリック教会
Milano Cappellania Cattolica Giapponese (Luciano Mazzocchi
神父)

2009125日-公現節第三日曜日

福音ルカ241-52

神殿での少年イエス さて、両親は過越際には毎年エルサレムへ旅をした。イエスが十二歳になったときも、両親は祭りの慣習に従って都に上った。祭りの期間が終わって帰路についたとき、少年イエスはイスラエルに残っておられたが、両親はそれに気づかなかった。イエスが道連れの中にいるものと思い、1日分の道のりを行ってしまい、それから、親類や知人の間を捜し回ったが、見つからなかったので、捜しながらエルサレムに引き返した。三日の後、イエスが神殿の境内で学者たちの真ん中に座り、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。聞いている人は皆、イエスの賢い受け答えに驚いていた。両親はイエスを見て驚き、母が言った。「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです。」すると、イエスは言われた。「どうして私を捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」しかし、両親にはイエスの言葉の意味が分からなかった。それから、イエスは一緒に下って行き、ナザレに帰り、両親に仕えてお暮らしになった。母はこれらのことをすべて心に納めていた。イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。

福音を顧みて

この福音には両親に口答えする少年イエスが登場します。如何に私達の子供達と似ていらっしゃいますね。どこの家庭も、少年期は反抗期です。聖母マリアの家庭もそうでした。初めてエルサレムまで連れて来てもらった少年イエスは、両親の許可を求める必要も感じず、祭りの騒ぎが手伝って両親の目を避け、エルサレムに残りました。三日後、両親が慌てて駆けつけたところ、「どうしてこんなことをしてくれたのです」と母マリアがとがめると、少年イエスは詫びるどころか、「どうして私を捜したのですか」と反駁しました。聖母がびっくりなさったのではないかと思います。子供の成長は「問題を起さない」ことにあると思い込むなら、聖母マリアに口答えするイエスの態度にとても納得がいかないでしょう。しかし、誤りをしない様に生きる事が道徳の目的であれば、それと違って信仰は愛の心を育てることを目指しています。少年期に入った子供は、くねった道を歩んで見ずには愛の内に辿り着けない様です。言い換えれば、成長の為に必要な反抗も御旨だという訳ですね。「イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人に愛された」と書いてある様に、少年イエスは一日毎に新しい何かを体験する事によって「知恵が増し」、恵みに満たされました。信仰の道は、やはり曲折の多い登り坂の筋です。そのお陰で、狭い通路を通り過ぎる度に、新しい景色を展望できる喜びが待ち受けています。愛の想像力というか!愛の創造力というか!

アンブロージョ典礼の暦では、一月末の日曜日は聖家族に捧げられています。現在、世界の何処の国にも、家庭の絆は緩んで来た様で、健全な家庭を再び作るという運動が教会内にも特別に強まっています。婚約者向けの結婚講座とか、既婚者の養成コースとか、家庭崩壊を防ぐ為の教会の対策は多くて有り難いですが、福音による家庭生活は決して曲がり角を知らないものではありません。却って、止むを得ず刃向かって来る困難は「知恵が増し、背丈も伸び、神と人に愛された」イエスとその母との親近感を覚えさせてくれます。困難は成長の原料です。心に信仰さえ根付いていれば・・・多分、現在の家庭の成長を一番妨げているのは、親の概念で子供を完璧に育てようとする事です。子供の真の成長より、教育家として自分の満点を狙う親は多いのではありませんか。真の教育家は子供の心から響く余韻に耳を傾け、その時の子供に必要な支えを捧げ、育てて行く様にします。支えて上げると同時に、子供の知恵が増して来る事を見つめながら、子供と共に神にも人にも愛されて参ります。聖家族!

分かち合い

お正月にはお餅とおせち料理でお腹が苦しくなった人も今は治まった頃でしょうか。この日本人にとって欠かせないお餅、ヘブライ語でマッツォーと言います。エジプトでは米が産したのです。イスラエル人がエジプトを去る時、パンを発酵させ膨らませる時間がなかったので、酵母を入れないパン、マッツォーが作られました。お餅と同じ製法です。日本ではお正月にお餅を食べて一年無事に過ごせる事を祈ります。イスラエルの民もエジプトを脱出して約束の地に辿り着く迄の40日間、このマッツォーを食べて身体健全でした。私達は御聖体を頂いて又御言葉を頂いて心身共に癒されています。上記の福音同様下記の毎日の御言葉をご参照下さい。澄玲

お詫び:先週のお祝い文を書いた部分で、もを、喪と書いてしまい気が付かなく送信してしまいました事を、玲子さんとご主人を始め皆さんに深くお詫び申し上げます。ルチアーノ神父

お知らせ

1月25日(アンブロージョ典礼では聖家族の日曜日)、日本に帰国なさいます中山御家族と共にお別れの御ミサ、ミサに続いて名残の茶話会。「・・・また会う日まで、神とともに・・・」。梨々花ちゃん、幹土君、頑張ってね・・・

今週の福音

25 () ル カ241-52

26 (月)マルコ424-25

27 () マルコ426-34

28 () マルコ435-41

29 () マルコ51-20

30 () マルコ521-34

31 () マルコ535-43

01 () ル カ822-25

イタリアのキアーラ・ルービックによって始められた運動のフオコラーレの大阪の係りをしていらして、去年の年間第二十五主日にコメントを送って下さった原田久代さんから送られる毎日の御言葉の中から少しご紹介させて頂きます。

今の瞬間の神のみ旨を 愛をこめて受け入れること。

今の瞬間、神様の証し人になること。

今の瞬間、私たちに求められたものを神に返すこと。

次の文章は体験パスワードです。

時々、気持ちが落ち着かなくなると電話してくる相手がいます。突然かかってきては責めたてられるので、私はこの電話をいつも避けたい気持ちになります。“イエス様、共にいて下さい”と願いながら、受話器を取りますが、なぜここまで言われなきゃいけないの?という気持ちになることも、しばしばで、相手が苦しみの余り発する言葉なんだ、と思いながら受け入れるのがやっとでした。昨日も電話があり、“神様、神様”と祈りながら聞いていましたが、耐えきれなくなり、「いい加減にして!」と声をあらげてしまいました。神様がその人を愛するよう願っていることはわかっていたので、私は受話器を持ったまま、急いでパスワードを探しました。「忠実に忍耐して今を生きること」でした。声をあらげたことを謝り、相手が落ち着くまで、話を聞くことができました。パスワードに本当に感謝しました。(N)

「神のみ旨で満足すること」というパスワードを受け取った日のこと。その日は体調が悪かったのですが、職場で細かい数字を見ると気分が悪くなるのにそればかりの作業が続いたり、聞きたくない話を聞かなくてはならなくなったり、と「満足でない」ことばかりが続きました。いつもだったら不満に感じる私ですが、パスワードに助けられ、一つひとつの状況を喜んで受け入れるよう努めることができました。その日の夕方、ある友人から「祈ってほしい」とのメールがあり、ご家族に危篤の方がいることを知りました。その日、自分に訪れた小さな苦しみはすべて、友人の大きな苦しみのために捧げられていたことを知り、無駄なことは何一つないのだと感じました。(N)

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