ミラノ日本人カトリック教会
Milano Cappellania Cattolica Giapponese (Luciano Mazzocchi
神父)

232008

年間第四日曜日 

福音 マタイ 5,1-12

そのとき、イエスは群衆を見て、山に登られた。腰を下されると、弟子たちが近くに寄って来た。そこで、イエスは口を開き、教えられた。

「心の貧しい人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである。

悲しむ人々は幸いである。その人たちは慰められる。

 柔和な人々は幸いである。その人たちは地を受け継ぐ。

 義に飢え渇く人々は、幸いである。その人たちは満たされる。

 憐れみ深い人々は幸いである。その人たちは憐れみを受ける。

 心の清い人々は、幸いである。その人たちは神を見る。

 平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。

 義のために迫害される人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである。

私のためにののしられ、迫害され、身に覚えのないことであらゆる悪口を帯びさせられるとき、あなた方は幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。」

 

福音を顧みて

イエスが八回も叫んだ「その人たちは幸いである」という福音は至福八端とも呼ばれている、正にキリストの教えの心です。マタイはそれをイエスが公に述べられた最初のお言葉として記し、ルカは最初の宣教期間の締めくくりとして伝えています(ルカ617-26)。更に、マタイによればイエスが山に登って、弟子たちを座らせた後に至福八端を唱えられたとし、ルカはイエスが山から下りて、群衆の真ん中に立ったまま仰ったものとしているが、この違いも福音の響きです。すなわち、初代教会の人々は至福八端を人生の如何なる状態にも適用していたことが分かり、山に登って人生の視線が広く感じられるときにも、また低い平野で回りに押しつぶされれそうな経験の最中にも、至福八端は心の支えだったわけです。

八回もイエスが人類に叫ばれた「その人たちは幸いである」の福音をじっと黙想すればするほど、どれほどキリストの心が素晴らしいことか、またどれほど私たちが未だにそれから遠いことかを直感させられます。未だに遠いと痛感しながら、同時に何気なくそのお言葉に深く、優しく、強く招かれていることを体験するし、私たちが唱える一切の人生観を覆すと同時に、そのお言葉こそは人間の心底に染みる「まこと」であることを感じます。

洗礼を始め、すべての秘跡を受けていても、聖書を詳しく引用することが出来る神学者であっても、「その人たちは幸いである」という福音は、私たちの前に輝く果てしない、人間の知恵を超えたキリストの知恵です。「果てしない」ものでありながら、それは人間の現在に実現されるのです。そして、私たちの現在の体験は暗いゆえに、光がより輝き、「幸い」の極地を現在において経験させてくれます。人生の逆説や極端は、より真の「幸い」を今にも得させるためにあるかのようです。。。

「心の貧しい人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである」。鳥かごにそだった鳥は、自分の場所を徹底的に所有し、利用しているが、森の鳥は枝一本も自分の物として持っていません。森の鳥はいくらに飛んでも、飛ぶ所を自分の所有物にしないお陰で、どこにも自由に飛び続けるのです。しかも、空の中をいくら飛んでも、空は果てしない広くて、それを飛びつくすことが出来ない「貧しい」鳥です。私たちも、生きれば生きるほど、果てしないものの中にあって、知識や功績を積めばつむほど、永遠なるものの中で無償に存在を与えられた「貧しい人」であります。自分の専有物として何も持たないからこそ、常に自分より広いものの中を自由に歩むのです。

神の中に生かされていることを認めない人は、おそらく自分を中心地として思わせる自分の地平線の中にあって、安心するかもしれないが、その地平線を(に対して)「貧しい」人は、そしてその地平線を安心の基準とする必要性を持たない人は、果てしない中に自分自身を委ねることによって、天の国の幸いを味わわせていただきます。

「心の貧しい人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである」。人間

福音の響き

二月五日(日本外の教会には二月六日)は二十六聖人の祝日です。日本の西田さんから下記の記念文章が届いたので、皆さんに回送します。日本教会の初穂だった二十六聖人の強い信仰を称えながら、現代の日本にも強い信仰が根付くように祈りましょう。西田さんにありがとう!

   日本26聖人殉教400年祭の思い出

「一粒の麦が地に落ちて死ななければただ一粒で残る 死ねば多くの実を結ぶ」

今年も2月5日の日本26聖人の殉教の祝日が巡って参りました。26聖人の殉教は 日本の殉教史上で最もよく知られたものであり、世界的にも有名なものだと言われます。そして日本の地にキリスト教が根付くための麦の一粒だったのではないでしょうか。

 1549年.聖フランシスコ・ザビエルが日本にもたらしたキリスト教は最初は織田信長の宗教に対する理解、そして初期の豊臣秀吉による援助で大きな発展を遂げましたが、秀吉が彼の意図した強権による全国統一の方法にキリスト教が障害となることを知り、さらに1596年、スペイン船サン・フェリペ号事件も絡んで態度を一変させ、キリシタン禁制を断行した。これはフランシスコ会の宣教師とその指導下にあるキリシタンの全員の処刑であった。そして神父と修道士6名、教会に出入りしていた信徒14人、イエズス会関係者3人の合計24人が捕縛された。彼らは翌年1月3日教徒で耳たぶを切られ見せしめのため京の街を引き回された。しかし殉教者達は群衆の罵声も心にとめず敬虔さと喜びがあふれていたと言われる。その後彼らは大坂・堺を引き回され、10日大坂を出発し、途中2名の信徒を加え26名が徒歩で長崎までの800キロの死の行進が始まった。日本が最も寒い時期での難苦行は肉体的にはとても耐え難いものであったが、彼らは神への喜びで一人の落伍者もなく栄光への道を歩いた。

 幸運にも、1997年私は長崎で行われた殉教400年の記念祭に参加することが出来大きな感銘を受けました。知り合いの岡山教会の薄田さんの発案で集まった22名が(岡山教会11名・明石教会3名・宝塚教会8名)2月4日午後10時岡山を貸切夜行バスで出発、翌朝午前6時大村の植松教会着、聖体訪問・日本26聖人の聖歌を歌う。その後植松教会の信徒の案内で、1624―1658年にかけて多くの信者が殉教された放虎原殉教地で祈りを捧げ、次いで1617年から5年間多くのキリシタンを閉じこめた狭い鈴田の牢を見学後、殉教の朝26聖人が舟で着いたと言う時津港を訪れる。港には「日本26聖人上陸の地」の碑があった。聖人達はここから裸足で12キロほどの処刑地へ追い立てられていったと言われる。長崎に着き西坂の殉教地で祈りを捧げ祈年祭会場へ向かう。記念ミサ会場の県立総合体育館は全国各地からのバス自動車で満員でした。新聞の報道によると当日の参列人員は6300人とあった。多くの人が参列出来なかったと伝えていた。会場中央には巨大な十字架型の祭壇が設けられ、ここで教皇特使閣下のミサが捧げられるのである。私たちの席は中央祭壇の近くにあり司式の様子が良く見られた。定刻、聖人一人一人の名を記した26本のローソクの入場、司祭団や聖職者・聖遺骨の入場があり祭儀が始まった。この日のために日本語の特訓をなさった教皇特使ショーカ枢機卿の典礼分は全て日本語、説教は日本語通訳つきであった。荘重なラテン語のクレドなど、合唱は体育館に轟き渡る大合唱だった。2時間30分にわたる荘厳ミサは参列者全員に大きな感動を与えて終了した。それから私たちは外海地方、平戸、生月地方の教会と殉教地を巡り感激のうちに各地へ帰宅した。

今週の毎日の福音

03 マタイ , 41-52

04 マルコ 5, 1-20

05 マルコ 5, 21-43

06 マルコ 6, 1-6

07 マルコ 6, 7-13

08 マルコ 6, 14-29

09 マルコ 6, 30-34

10日 マタイ 4,1-11

お知らせ

2月十日〔日〕ミラノ教区で来る復活説中に洗礼を受ける大人(百人以上)は一定の教会に集まって、一緒に準備の黙想会を行い、最後に大司教様の司式で信仰を告白し、洗礼志願者として選出されます。その内、ミラノに住む日本人も幾人。祈りをもって支えてあげましょう。。。

ほのぼの雑記

天国言葉

ついてる
うれしい。楽しい。
感謝してます。
しあわせ。
ありがとう。
ゆるします。

こういう言葉をたくさん言っていると
また言いたくなるような幸せな事がたくさんおきますよ。

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地獄言葉

ついてない。
不平不満。
グチ、泣き言。
悪口、文句。
心配ごと。
ゆるせない。

こういう言葉をたくさん言っているともう一度こういう言葉を言ってしまうようなイヤな事が起きますよ!!

言葉と心の連動おもしろいですね。

荻原智子

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