ミラノ日本人カトリック教会
Milano Cappellania Cattolica Giapponese (Luciano Mazzocchi
神父)

4132008年 ・ 復活節第4日曜日

福音 ヨハネ 10, 1-10

まことに、まことに、あなたがたに告げます。羊の囲いに門から入らないで、ほかの所を乗

越えて来る者は、盗人で強盗です。 しかし、門から入る者は、その羊の牧者です。 門番は彼

ために開き、羊はその声を聞き分けます。彼は自分の羊をその名で呼んで連れ出します。

彼は、自分の羊をみな引き出すと、その先頭に立って行きます。すると羊は、彼の声を知っているので、彼について行きます。 しかし、ほかの人には決してついて行きません。かえって、その人から逃げ出します。その人たちの声を知らないからです。」

イエスはこのたとえを彼らにお話しになったが、彼らは、イエスの話されたことが何のことか

分からなかった

そこで、イエスはまた言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしは羊

門です。 わたしの前に来た者はみな、盗人で強盗です。羊は彼らの言うことを聞かなかったの

す。 わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら、救われます。また安らかに出入

し、牧草を見つけます。 盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのた

です。わたしが来たのは、羊が命を得、またそれを豊かに持つためです。

福音を顧みて

毎年、復活節第四日曜日のミサには善き牧者のたとえ話の一箇所を読むことになっているので、善き牧者の日曜日とも呼ばれています。A年に当たる今年に読まれる1-10節を熟読してみましょう。そこでは主が「まことに、まことに、。。。私は羊の門です」と仰います。「私は門です」、最後の晩餐で仰った「私は道です」というお言葉は、キリストの信仰は、人生の旅そのものであることを指しています。キリストが出発点の門であれば、キリストに帰依することは、他ならぬ歩き始めることで、歩き続けることで

ちらかというと、私たちは、キリストを遠い到着点として仰ぐ方を好むようです。多分、私たちにも「触らぬ神に、たたりなし」という恐れの信じ方が残っているかも知れません。やはり、私たちの心の片隅には、恐怖を引き起こす「盗人で強盗」的な宗教観が一抹の影を落しているでしょうか。弟子たちも復活の日の夕方、「ユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた」(ヨハネ20,19)。弟子たちの恐れも、私たちの恐れと同じく、キリスト信者であると言いながら、まだキリストの心の門を潜っていないところから湧くのです。弟子たちは、立派な教えを述べる主に従っても、「イエスは必ず死者の中から復活される。。。という言葉をまだ理解していなかった」(ヨハネ20,9)と聖書に記してあるように、神の本質は権力と光栄であると信じ込み、柔和と愛であるとは、なかなか悟りえなかったのです。何処からこういう根性が生じるかと言えば、おそらく私たち人間は権力と光栄が柔和と愛に勝るものだと思い込んでいるからです。それで、弟子たちは勝利の主を信じても、死を甘んじる主を信じ得なかったのです。人間的な凱旋門を潜ってキリストと会おうとすれば、真のキリストと出会えないのです。結局、立派な教えをたまわっても、この私を救うために死ぬ覚悟をもっていない、ただ議論的に偉いキリストと会う限り、「いる家の戸に鍵をかける」心の恐れは絶えないでしょう。私の救いのために死ぬ覚悟を持たないキリストは、私の救いに成り得ないのです。なぜかと言えば、私は罪から許されてこそ、元気な私に復活するからです。許されて復活した私は、また自発的に人を許せるものになり、互いに許し合えば、真の世界が現れます。死ぬ覚悟の善き牧者のお陰で羊たちは広々と。。。

主の門は十字架です!

今週の毎日の福音

13 日 ヨハネ 10, 1-10

14 月 ヨハネ 10, 11-18

15 火 ヨハネ 10, 22-30

16 水 ヨハネ 10, 44-50

17 木 ヨハネ 13, 16-20

18 金 ヨハネ 14, 1-6

19 土 ヨハネ 14, 7-14

20 日 ヨハネ 14, 1-12

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  • 添付の写真は復活祭の洗礼式 (downloadを詰めないために一枚ずつ送ります)

    1. P3250021: 受洗者の桜井まゆみさんと荒川泉さん。おめでとう!

  • 以前から、日本の西田さんから以下の文章を送っていただきましたが、人生の難儀を担って下さる善き牧者の祝日の福音に追加して皆さんに回します。

カトリック・ミラノ日本人教会の皆様へ

日本は、私が小学6年生の昭和16128日に、米国・英国などの世界の大国相手に太平洋戦争(第二次世界大戦)に突入しました。緒戦の真珠湾攻撃やマレー沖海戦の華々しい戦果に国民は大喜びをしましたが、時がたつにつれ資源の乏しい我が国は徐々に窮地に追い込まれ、敗色が濃厚となってきました。各地で撤退や玉砕の報道が続き、国内では主な都市はしばしば爆撃に曝されて焦土と化し、壊滅的な打撃を受けました。日常生活は窮乏し、生活必需物資は欠乏し殆ど配給制となり、人々の生活は苦しくなってきました。「欲しがりません、勝つまでは」の標語が世間一般に行き渡っていました。各家庭よりの貴金属類の供出、お寺や教会の鐘も兵器増産のために取り去られました。街ではバケツによる消火訓練や竹槍の訓練、防空壕堀りなどが行われ、今思えば全く無謀とも思える作業の毎日でした。中学では、級友の殆どが非キリスト教徒であり、周囲からは常に白い目で見られ、「アーメン・ソーメン・冷やソーメン」などとからかわれとても嫌な思いをしました。また軍隊からは配属将校が来て、教練という教科が重視され、軍人になるための教育が優先的に行なわれました。さらに戦局が厳しくなると、私たち中学生にも軍隊への志願が半強制的に行われ、応募しない者は非国民のように言われました。そのため級友の中の相当数が応募し、軍の機関に入隊して行きました。幸い私は長男であることと肋膜炎の既往症のため強制から逃れました。

昭和1819年になると学徒動員令が発令され、多くの大学・高専生達が特攻隊員として強制的に死の戦場に狩り出され、あたら若い有能な命を散らしました。わたしたち中学生は、男子は報国隊・女子は挺身隊として学業を中止し各地の軍需工場へと徴収されました。私は中学3年生の時、長崎市の北部の浦上にあった三菱兵器製作所の鋳造工場に配属になりました。そこでは、太平洋戦争の初期真珠湾攻撃やマレー半島沖会戦で使用されたと言う空中魚雷を生産していました。戦争開始日の毎月8日は「大詔奉戴日」とされ、朝礼で社歌を斉唱したりしました。私はそこで魚雷のスクリューを作る仕事に従事していました。ここでは私たち以外、多くの学生・生徒が働いていました。毎日残業が多く、食料不足の為とても辛い毎日でした。夕食に出る一片のパンだけは育ち盛りの我々にとって唯一の楽しみでした。 学徒動員の最初の頃は週一日の登校日があり、学校に戻った私たちは、勉強のこと・仕事のこと・国の将来などについて熱く語り合いましたが、戦局が厳しくなるにつれ登校日も無くなり、替わりに学校から先生が見えて、学内の状況報告や生活指導がありました。

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